****** 「おお!ついに買ってもらいましたか、指輪」 週開けて出勤すると、生田さんが開口一番にそう言った。 「綺麗な指輪ね」 「ありがとうございます」 「うん、高槻ちゃんのイメージにもよく合ってる」 「そうですか?」 「うんうん、良いと思う」 自分の事を褒められているわけではないのに、嬉しくなってしまう。 「ま、剥き出しの独占欲にも見えなくもないけど」 ふふっと彼女は笑った。 「独占欲、ですか?」 「可愛いデザインの指輪だけど、それダイヤでしょう?もう見るからに 高そうだもの。それだけのものを着けてると、悪い虫も近寄りにくくな るってものね」 生田さんは、にこりと笑った。 独占欲。 彼のその矛先は私に向いている? 独り占めしたいと思う強い感情。 私も彼を独り占めしたい。 それは今まで、何に対しても感じられなかったものだった。 和瑳を自分だけのものにと、願うだけでは足りないくらい強く思う。 私の価値と、和瑳の価値では測りにかける以前に判りきったものではあ ったけれども、これは私の究極の我侭だった。 誰にも渡したくない。 そして、和瑳に一番だと思われるのは自分でなければ嫌だという事。 私は優れた人間ではないから、和瑳と並んで相応しい人はこの世の中に は沢山いるとは思う。 例えば、持田さん。 彼女だって…。 「私、そんなにトイレに来る回数多くないんだけど、あなたとはよく会 う気がするわ」 「…そう、ですね」 私もトイレに立つ回数は決して多い方ではないと思うのだけど、何故か 最近よく彼女と遭遇する。 持田さんは、小さく溜息をついた。 「ずいぶん、素敵な指輪ね」 「え?あ…はい、買って貰いました」 「言わなくても判ってるわよ」 「そうですか…すみません」 「ブランドジュエリーでしょ?高い物ねだるのね」 選んだのは彼だ。 と、言うのは何となくだけど気が引ける気がした。 「可愛かったので、つい」 「つい、って値段じゃないでしょ」 「あ、はい。すみません」 「ああ、でも、彼にしたらそれぐらいのもの、どうって事はないわね。 きっと」 どうとも言いがたい表情をしながら、彼女はそんな風に言う。 「今までの彼女だって、高価な物をつけていたしね」 「そうなんですか」 「そうよ」 「今までの、その、彼女の皆さんは、どんな感じの方達だったのでしょ うか?」 「皆、凄く綺麗だったわよ。彼も彼女の事をとても自慢していたしね」 彼自身の事でも、彼の持ち物でも、私が何かを言っても和瑳の返事はい つでも然程(さほど)のものではないという言い方だったから、和瑳が 何かを自慢するというイメージは想像しにくかった。 自慢の、彼女か。 和瑳が選ぶ人なら、どの人も素敵だったんだろうなぁという事は想像に 容易い。 「私は、彼が自慢するには足らない人間ですけど、でも…すみません、 私はどうしても、彼じゃないと駄目なんです」 「…そんなの、私に言われても…ね」 「そうですよね、すみません」 私が和瑳でなければ駄目だと思うように、持田さんだって同じかも知れ ない。 でも、他はどんなに譲れても、和瑳だけは譲れないと思ってしまう。 その感情すら、私には過ぎた事かも知れなかった。 だけど、彼は初めて私を愛してくれた人で。 「ちょっと…私が虐めてるみたいでしょう?」 持田さんが困ったような声を上げるから、そこで初めて涙が零れている 事に気が付く。 「泣くのはずるい」 「すみません」 彼女は大きく息を吐いた。 「………嘘だから」 「…え?」 ポケットからハンカチを取り出そうと手間取っている私に向かって、持 田さんが言った。 「瀬能君が、彼女を自慢してたって話よ」 「あ、そ、そう…なんですか?」 「…もっと言えば、瀬能君の彼女がどんなだったかって事も、知らない わ」 「え??」 「彼女を私達に紹介するって事もしない人っていうのが本当よ」 「…そうなんですか」 「だから、知らない、彼がどんな女性を好きだったかなんて。知りたい なら本人に聞いて」 手を拭くペーパーを何枚か引っ張り出して私に渡す。 「私は今だって、彼がどんな人と付き合ってるかなんて、見たくもなけ れば知りたくもないんだけどね」 「す、すみません」 持田さんはそれ以上は何も言わず、出て行ってしまった。 人を好きだというリアルな感情に触れる。 それは決して優しいだけの感情ではない。 辛かったり、苦しかったりするもの。 受け止めて貰えなければその分、心は痛む。 ―――――それが判っても、やっぱり私は和瑳を譲る事なんて出来はし ない。 誰かが苦しんでいるのを知っていても。 ペーパーで涙を拭い、私もトイレを後にした。 「やぁっと出てきた」 トイレから出た直後に声を掛けられ、びくっとしてしまう。 振り返ると、そこには和瑳が立っていた。 「か、か、あ、えっと、瀬能、さん、いつから、その」 鞄を持ったままだから、帰社したところなのだろうなというのは想像出 来た。 「商談終わって、帰ってきて、トイレで手を洗っていたら話し声がした のでフロアに戻るに戻れず、そんな状態」 彼は笑った。 「…なんだか、凄く、ごめんなさい…って、感じなのです」 「何に対して?」 「……全国の、瀬能さんをこよなく愛する皆さんに。です」 「なにそれ」 ふふっと和瑳は笑った。 「ごめんなさい、とは思うんですけど、でも独り占めしたいのです」 「…うん」 「本当、すみません」 頭をそっと撫でてくれる彼の手が、大きくて優しいから止まった筈の涙 がまた溢れてきてしまった…。