「君は優しいな」 和瑳は、ちょっとだけ笑ってからそう言った。 「優しくなんてないです、私は誰かが傷ついていても、それでも我侭を 通したい人間なんですよ?」 「だって、俺は他の誰が傷つくだとかそんなの微塵も考えないもの」 「え?」 「誰が傷ついても構いはしない、他の人間が沙英を想おうがどうしよう がそんなの俺の知った事じゃない。と、いう風に考える人間ですので」 にっこり。と彼は笑った。 「他人なんてどうでもいい、護りたいものの前では寧ろ邪魔だ」 「…瀬能、さん」 「社内でも、別に和瑳って呼んでくれても良いんだよ」 彼は小さく笑う。 「え、と…でも、瀬能さんは上司にあたる人なので」 「まじめですねぇ」 くくっと和瑳は笑った。 不意に思い出す。 『笑顔は…俺が笑うと沙英もつられる様に笑うから、だから笑ってた』 彼が笑うのは、私が笑うからだと言った言葉を。 私はいつも笑っている和瑳しか知らない。 だったらそれまでの彼はどうだったのかって思えた。 見上げると、優しい瞳とぶつかる。 意志の強そうな、何色にも染められない黒い瞳。 その瞳の奥では、何を思っている? 「何?」 「…いえ」 でも、彼の人当たりのよさとかは変わってないと思えるし、そういえば 初出勤での挨拶だって、彼はちゃんと笑っていた。 ちょっと、気にしすぎ、だな。 ****** 「で、君は俺の前の彼女とかが気になるわけ?」 家に帰ってくるなり和瑳はそう言って笑った。 「…あ、聞こえていたんですか」 「まあ、ところどころは」 見上げると彼はにっこりと微笑む。 「…どんな人だったのかな、とか気にはなりますけど、でも聞いてしま うと嫌な気持ちになるのかなとかすごく微妙です」 「比べられたくない人だものね、君は」 「ええと…そう、ですね」 「でも自信を持って良いよ。俺が結婚したいとまで思ったのは君だけな んだし」 「あ、そう…なんですか?」 「そうですよ」 ソファに深く腰掛けて、長い足を組み直す。 「一生かけて守りたいとか傍に居たいとか思ったのは君だけだよ。沙英 に向けて言った言葉は、君にだから言ったのであって、誰にでも言って いたという風には思わないで欲しいかな」 「は、はい」 「そういうの、信じる信じないは、まあ君の自由ではあるんだけど」 和瑳はちょっと意地悪そうな表情をして言う。 「信じてます…よ?」 「うん」 彼が右腕を伸ばし、その胸に私を招き入れる。 「君は特別な存在だよ」 甘く心が震えるような言葉を、彼は私に与えてくれる。 そしていつも、彼が与えてくれる言葉はピンポイントに私の欲しい言葉 で切ないぐらいに嬉しい。 耐える事は慣れていても、甘やかされる事には慣れていないから、彼の 言葉は心地よくもあり、くすぐったくもある。 額や、頬に触れてくる唇の感触も同様だ。 他人に触れられる事が、嬉しかったり幸せだったり、時にはそれが泣き たくなるぐらい切なかったり。 知らなかった感情を、和瑳が全部教えてくれる。 狂うぐらいの情熱さえも。 「君には、俺が居るからね」 耳元で小さく囁くようにして彼が言う。 聞き取りやすいちょっと低めのその声は、優しく鼓膜を震わせる。 ゆっくりと唇を重ね合わせ、感触や温度を確かめた。 唇で感じるその柔らかさはどうして、もっともっとと追い立てられるよ うな気持ちにさせられるのだろう。 少しだけ唇を離してみても、また触れたいと思ってしまう。 「じれったくなる」 彼は少しだけ笑ってから、私の後頭部に手を回し、押さえつけるように して唇を合わせてきた。 柔らかい唇の感触と濡れた舌の感触。 小さな吐息も絡み合った。 「か、ずさ…」 加速していく感情に眩暈がする。 制御しようとする理性がそれに追いつけないぐらいのスピードで。 「苦しく、なります」 「何が?」 緩やかな感情が激しく求めるものになっていく、スイッチが切り替わる 瞬間は乱れるように呼吸が苦しくなる。 高まるほどに心拍数が上がっているのが判る。 「期待、するから?」 少し薄めで綺麗な形の唇の端を上げて彼が笑う。 眼差しは既に妖艶で、瞳の甘い輝きに囚われる。 「泣きそうにも見えるけど、誘っているようにも見えるね」 掌を私の首筋に当てながら言う彼に、私は欲情した。 そんな風に甘い色をした瞳で見つめながら触れるのはずるい。 「誘っているのは、和瑳の方です」 「そうかな」 小さく笑うその様子だって、もう既にいつもの笑い方とは違って見える。 堪らなくなる。 その皮膚から甘く香りたつ匂いを、唇を寄せながら嗅ぎたくなってしま う。 そうやって虜になっていく。 その行為にも、彼自身にも。 「ん、ぅ」 散々弄ばれた身体の熱を鎮めるようにして入ってくる塊は、鎮めるどこ ろか火をつけるというのは承知の事だった。 だけどそれが入ってこないと鎮まらないのも事実。 ゆっくりと触れ合う部分から生まれる快感に思考が溶けていく。 でも溶けていくのは、思考能力だけではないと思えた。 ―――――魂が溶けていきそう。 正気を保つなんて無理だった。 それを彼が面白そうに見ているのが判っていても。 「君は本当に可愛いな、そうやって乱れている様子も」 硬くなった塊を何度も出し入れしながら彼が言う。 初めて入れられた時はあんなに痛かったのに、何故こうも変わってしま ったのだろうか。 次から次へと求めずにはいられなくなる快感が生まれては消えていく。 持続性のない快感に翻弄された。 「ん、んっ…かず、さ…」 求めるように強く抱き締めれば彼は私の耳元で余裕たっぷりに笑ってみ せる。 「もっと啼いて、やらしい言葉で俺を煽ってみせてよ」 淫靡な言葉は彼が誘導し、私に言わせる。 そういう状態になってる頃には、本当に私は自分が保てなくなってしま ってる。 自分が誰だかなんてどうでもよくて、考えられる事も快感を追い求める だけになっている。 そんな私を見下ろして、彼は「やらしいね」と言って笑うのだった。 艶っぽい唇を少しだけ上げて…。 身体のどの場所に触れられても敏感になっていて、内部の快感が助長さ れるのに、和瑳はそれが判っているのか柔らかい舌を使って、ゆっくり と私の胸の先端を愛撫している。 優しい動きなのに、追い立てられている感じがした。 緩やかな彼の動きがじれったくなってくる。 「や、もっと…」 「もっと、何?」 聡明に輝く黒曜石のような瞳が鋭く私を見詰めた。 もっともっと欲しいと、懇願する。 もっと激しくして欲しい。 壊されたいと思うぐらいだった。 「……ん、沙英…」 思いつくかぎりのねだる言葉を彼に投げる。 彼は面白そうに笑った。 「そんなに欲しいの。ナカ、こんなにきつくさせて」 緩やかな動きを激しいものに変える。 苦しい思いが一層強くなった。 求める所まで昇っていく事の切なさは、しびれるような痛みにも似てい て、とてもではないけど正気ではいられなかった。 彼を求めて泣いて、喘いだ。 「イイ顔、凄く興奮する」 そう言う和瑳の表情も、色っぽくて私の興奮を煽った。 いつもだってとびきり色のある人だとは思うけれども、私を抱いている 時の彼は堪らなく興奮してしまうぐらいに艶かしく色っぽかった。 お願い、そんな表情、他の誰かには見せないで。 ずっと、私だけのものでいて。 貴方を独占する事が出来るなら、私はなんでもするから。 「…なんでも、ねぇ…まあ、覚えておくよ」 ふふっと彼は笑いながらも私の腰を強く引き寄せ、最深部に自身が来る ようにして揺さぶり続けた。 「あっ、ん…和瑳、も…ぅ」 「いきなよ」 「……んんっ!!」 一気に深い快楽の海に落とされる。 全身が痺れて、彼が動くたび通り過ぎた筈の強い快感が何度も私を襲っ た。 「和瑳…少し、だけ…動かない、で…」 「駄目だよ」 「ぅっん」 辿り着いた先の更なる深い海の底。 痛いぐらいの小さな快感の泡は次々と生まれては消える。 和瑳が満足するまで、私はその快感に翻弄され続けた―――――。