「あまり無理をしないようにね」 家に着くと彼はそんな風に言った。 「え?無理…って、なんの事でしょうか」 「何事に対してもだよ、君は極端に物を考えたりする癖があるから」 「それは…そうかも知れないですが…」 「俺は、今のままの君で十分だからね」 「…でも」 「過剰なまでに俺に愛情を注いでくれる事には賛成だけど」 和瑳は、にっこりと笑ってから私を抱き締めた。 彼からは、ソリッドパフュームの香りがしてこなくても、私は彼自身の 匂いに癒され、ほっと安堵する。 それはいつもの事だった。 「出来る事は、なんでもします」 「…うん」 「その”出来る事”が何か…っていうのは、まだ見つけられないんです が」 私の言葉に和瑳は笑う。 「君が、存在し続ける事に大きな意味があるよ」 「そう言って頂けるのは凄く嬉しいですが、ちょっと、曖昧な感じです ね」 「曖昧だけど、一番重要な事だよ」 私は、はっとして彼を見上げた。 「す、すみません…」 「何が?」 「私は、やっぱり、考えが足りないですね」 「だから、何が?」 和瑳は笑った。 「……和瑳のご両親のお墓参りをしてきた後で云う言葉ではなかったな と思いました」 曖昧、だなんて。 そんな言葉で大切な事を濁すなんて。 「ああ、そんな事は気にしなくて良いよ、色々とね、気にされたくない から今までそういうのを言わなかったっていうのもあるし」 「でも」 「火事の事も、両親の死も、道だから」 「道?」 「君と出会うまでの道だよ。避けて通っていれば、今日という日は来な かった」 「……でも、辛くなかったわけではないですよね?」 「辛くない道なんてないんだよ、それは誰しもがそうであって、俺だけ じゃないと思うし、そりゃ正直辛い日はあったけど、それでもやっぱり」 彼は綺麗に微笑んで見せた。 「君に出会うまでの道だったのだと思えば、何て事はない」 「和瑳…」 「沙英、俺は凄く今幸せだし、満ち足りた日々を過ごす事が出来ている、 君が居てくれるからだと、そんな風に思っているよ。そんな俺がこれ以 上君に何を望めば良い?」 「私には勿体無い、言葉です」 「だって、そうだから。でも……うん、そう、だな」 「え?」 彼はちょっと考えるような表情をしてから、穏やかに微笑んだ。 「正直に言えば、君と出会って、それから君が俺を愛してくれるように なるまでは、凄く辛かったよ。両親が亡くなって俺だけ生き残ってしま った事に対して、ずっと、わだかまりを感じてた。何故俺も一緒に死な なかったんだろうかと、ずっとずっと苦しかった。他の誰かに愛されて いても辛いと思う気持ちは消える事はなかった」 和瑳は、そっと私の頬を撫でた。 「君という存在だけが、俺を救ってくれる」 頬を滑っていく指が、そして耳に届く声が優しくて、涙が溢れた。 「だから、君はずっと俺の傍に居て」 「わ、私は、ずっと、和瑳のものです」 「うん」 「私が、和瑳の救いになれるなら嬉しいです」 「うん」 流れ落ちる涙を、彼の指が掬う。 「だけど、私が存在する事自体を赦してくれているのは和瑳だけだから、 救いというのであれば、和瑳こそが私の救いです」 ―――――私の事は見えていますか? それは長い間、他人に対して感じていた事だった。 姉しか愛さない両親、3年間同じクラスだったのに存在に気付いてくれ ていなかった工藤君。 勿論、誰が悪いとか言うつもりは毛頭ない。 愛されないのは自分が悪いのだから。 そして、愛される努力も私はしてこなかったのだから。 否定や拒否が怖かったから。 ”私が愛情を向ける事”への否定や拒否は怖くない。怖かったのは、存 在そのものの否定だ。 私は両親に存在を否定されている事に薄々気が付いていたから、その事 をはっきりと言われるのが怖くて、ずっと何も見えず、気付かない振り をしてきた。 そんな否定され続けている私を、認めてくれたのは和瑳だ。 私の存在が”見えている”のは、彼だけ。 「和瑳には愛されたい、それはもうずっとずっとです、だから私は努力 をしたいんです、どんな事でも」 彼は微笑んだ。 「だったら君の言葉で俺を望んで。愛情を隠さず露わにし続けて、そう すれば俺はずっと満たされ続ける事が出来る。君が何をしなくても俺は 沙英を愛し続けるけど、君が何かをしたいと望むなら、そういう事をし て欲しい」 「和瑳…」 私の命の火が消えるその瞬間でさえも、彼を愛していると言えるのなら、 どんなにいいだろうか。 そんな風に私は思った。