冷たいと感じていた空気が少しずつ変わっていく。 季節の変わり目なのだなと思う。 沢山の花が咲く時期が近いのだなと、桜の木を見上げては少しだけ思い を馳せた。 土曜日。 花を買っていこうと和瑳が言ったので、お花やさんでピンクを基調にし た花束を作って貰った。 昔私が住んでいたアパートの近くのお花やさんは、小さな花束を500 円ぐらいで売っている事があって、好みの色合いの花束があれば時々買 ってきて部屋に飾っていたな、という事を思い出した。 「部屋にお花が飾られているのっていいですよね、すごく和む感じがし ます」 「ああ、そう?だったら、飾れば良いと思うよ」 車を運転しながら彼が言う。 「俺も花は嫌いじゃない」 「そうですか?」 「実家には、花が沢山咲いている庭園があるよ。正月に帰ったときは薔 薇が咲いていたかな」 「薔薇、見たいですね。今も咲いてますか?」 「今はどうだろうね?…それに…今日は、実家の方には行かないし」 「え?あ、そうなんですか?」 「うん」 彼が前に「お食事会」という事を言っていたりしてたので、今日もそう いう感じで、レストランとかで食事をするのかなと少し思った。 ―――――でも。 今朝から、少しだけ、和瑳がいつもと違うような気がした。 ほんの少しの違和感だったから、なんとなく彼には聞けずにいた。 いつもと同じ様には見える。 だけど、ほんのちょっとだけ、口が重たくなっている気もする。 どうしたのかな、と思いながらも聞けない私。 本当は、ご両親に私を会わせたくないのかなとか色んな事を考えてしま うから…。 「着いたよ」 車で1時間ほどの場所にある花や緑が多い霊園に辿り着く。 「…あの、和瑳」 「実の両親に、最初に君を紹介したかった」 「実、っていうのは?」 「今の両親は、養父母なんだよ」 彼は笑って、車から降りた。 私も続くようにして助手席から降りる。 後部座席に置いてあった花束を和瑳が手に取る。 「昔、家が火事になってね。そのとき2人とも亡くなった」 「そう…だったんですか」 「残った俺を引き取ってくれたのが、今の両親で、まあ、親戚とかでは ないから血のつながりはないんだけど」 綺麗に整備された石畳の上を彼が歩いていく。 「ここに来るのも、久しぶり。親不孝だな、俺は」 和瑳が立ち止まった墓石には『葛嶋家之墓』と書かれている。 「ちなみに、くずしまって読むよ」 彼はそう言って笑った。 「小さい頃、画数多くて嫌だなって思ったけど、瀬能もそうだから大概 だな」 花束のリボンを解き、2つに分けてから花立にそれを立てる。 「母は花の好きな人だったよ。家にあったのは小さい庭だったけどいつ も綺麗に花を咲かせていた」 『強い?それは違うな、弱いから必死になるだけだよ』 前に和瑳が言った言葉が鮮明に思い出された。 構われたい一心だったと言う風に彼は語ったけれども。 「…私は、必死になるという事をしてこなかったように思えます」 「え?」 「両親に対しても、好きになった人に対しても。どうすれば状態が良く なるかとか、そんな事も考えなかった」 「君に何かを思わせる為に、ここに連れてきたんじゃないよ?」 「はい…でも…私が色んな事に足りない人間なのは、やっぱり真実で」 私は墓石の前でしゃがんだ。 「それでも、和瑳のご両親は認めてくれるでしょうか」 「沙英に足りないものがあるというなら、その足りない部分は俺が埋め ていく。その逆も然りだよ」 「和瑳に足りない部分なんて、ないですよ」 「俺は沙英に足りない部分はないと思っているけどね」 「そんな事はないです」 私の頭を一度撫でてから、和瑳もしゃがんでそれから墓石に手を合わせ た。 (一生、和瑳と共に過ごす事を許して下さい) 報告をするというよりは、それは私の願いだった。 ****** 「前もって言わなくてごめんね」 霊園近くのファミリーレストランで、コーヒーを飲みながら彼が言った。 「ちょっとだけ、驚きました」 「うん」 和瑳は笑った。 「あと、心配もしました」 「心配って?」 「今朝からの和瑳の様子が、いつもとちょっと違うなって感じたので」 「そうだった?ごめんね」 「いえ」 彼を見ると、いつものように微笑む。 その事に私は安堵した。 「沙英に、話すタイミングは何度かあったとは思うんだけど」 「いえ、いいんです…でも」 「でも?」 「…もし、辛いと思う事があったりするなら、言って欲しいとは思いま すけど」 「辛い、か。うん、まあ、確かに少し前までは色々思うところはあった んだけど、今は結構大丈夫になってる」 「そう…ですか?」 和瑳はちょっとだけ苦く笑った。 「でも、沙英がそんな風に言うって事は何かを感じさせているのだろう から、これからは都度、言うようにするよ」 「あ、はい」 「うん」 「あの…それから、私、必死になろうかと思います」 「え?何に対して?」 「和瑳に、愛して貰えるように、です」 私の言葉に和瑳は笑った。 「そう、楽しみだね」 「はい」 「でも、今でも十分だけど」 「十分ではないですよ」 「そうかな」 白いカップの中で、濃い赤い色の液体がゆらゆらと揺れた。 愛される事が当たり前ではないと知っているから。 そして、愛されなくても良いという風に私が思えなくなってしまってい るから、これからは可能な限り、最大限に努力して行こうと思えた。 愛される、という事に。