BACK TOP 

rit.〜りたるだんど〜 act.16

******


帰宅後。
ジャケットを脱いで、ネクタイを外している彼に向かって話しかけた。
「あ、あの……です、ね」
「なんだよ」
「……その、今日」

零司さんに、西木さんに告白された事を黙っているのは良くないと思えてきた
ので、彼に今日の出来事を話した。

「ああ、そう。で?」
「そういう、事がありましたっていう、報告……です」
「ふーん」
彼は近くの壁に寄りかかり、腕を組んで私を見下ろした。
「何故すぐに言わなかった」
「ためらう気持ちが、あったからです」
「ためらう、だ?」
「あ、はい」
見上げると、無機質に見える瞳と目が合った。
その瞳の色は、彼が“怒ったような”時の色とは違い、ひどく冷えた感じがし
てぞくりとした。
「へぇ」
「……すぐに言わなくて、すみませんでした」
「天秤にかけてるってわけだ。この俺を」
「え??」
「それとも、あわよくば西木も喰っちまおうとか思ってるわけ? 人には一途
じゃないと駄目だとか言っておきながら」
「……零司さん?」
「そうだよな、おまえは好きでもない男に毎晩抱かれたって構わない女だもん
な」
「……」
「好きでもない人間に、抱いてくれと言える女だって事、忘れてた」
「……酷い事言うんですね」
「本当の事だろ」
「零司さん」
「なんだよ」
「一度だけ、聞きます。私が西木さんとセックスしようと考えているって、そ
れを貴方は本気で思っているのですか」
「……」
「どうなんですか」
零司さんは、その形の良い唇を僅かに噛んだ。
そして寄りかかっていた身体を起こし、ベランダへと向う。
「煙草吸うから、こっち来るな」


多分、私が何処かで間違えてしまったのだ。

零司さんが本気で言っているのではない事ぐらい判るから。

私は冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを1本取り出して、ベランダへ
向った。

「零司さん、お水、飲みませんか?」
「……来んなって言っただろ」
「私、煙たいの大丈夫ですよ。前にも言いましたけど」
「知ってるよ」
彼が手を差し出してくるから、ボトルのキャップを開けてそれを渡す。
零司さんはひとくち飲んでから私に返してきた。
「……思ってない」
「え?」
「さっきの、おまえの質問の答えだ」
そう言って、零司さんはふいっと余所を向いてしまった。
「はい」
私は、笑って、ボトルのキャップを閉めた。
「……すぐに報告しなかった、私が悪かったんです」
「ああ、そうだ。おまえが悪いんだ」
「すみません」
「ためらうって、なんだよ」
「え?」
「なんで、ためらったんだと聞いている」
相変わらず、余所を向いたままで彼が言う。
「……告白された事を零司さんに言って、だからなんだ? って、言われたり
思われるのが嫌だな……って思ったからです」
「ああ……ソッチのためらいか」
「他に何があるんですか?」
彼は煙草を銜え、吸う。それから小さく煙を吐き出した。
「俺にするのか、西木にするのか、決めかねているのかと思った」
「ええと、それは本気で言っているのでしょうか」
「本気だ」
「私は、零司さんでないと嫌だってずっと言ってますよね?」
「だけど、好きなわけじゃないだろ」
ふっと息を吐いてから、持っていた灰皿で煙草の火をもみ消した。
「荷物だって、少ししか運ばないしさ」
「荷物?」
「おまえの荷物だよ、紙袋2つって少なすぎるだろ」
「あ、それは……お部屋を狭くしちゃいけないと思ったから、必要最小限にし
ただけで他意はないです、居候させて頂くのですし」
「別にそんなの、手狭になったら、部屋を変えればいいだけの事だ」
「そんな事させられないですよ、ここ、素敵なお部屋なのに勿体無いです」
「うるせえな、そんなのどうでもいいって言ってんだよ」
「すみません」

心の中が少し痛くなった。
きまぐれで住めって言ったのかと思っていたけれど、実はそうではないんじゃ
ないかと思えたから。
「あの……零司さん」
「なんだよ」
「手を……繋いでも良いでしょうか」
その私の言葉に、彼は珍しく揺らいだ瞳をこちらに向けてくる。
「触りたいなら触れば良いと最初から言っている筈だ」
「そうでしたか?」
差し出された手をそっと握った。

「今日は、星が良く見えますね」
「星?」
空を見上げる私に、つられるようにして彼も空を見上げた。
「景色が良いので、私は、このお部屋が好きなんです」
「ああそう」
「だから……出来ればずっと、住みたいです……その、零司さんと一緒に」
「……」
握り返された手が、了承の代わりのように思えた。
「私が荷物を少ししか持って来なかったのは、いつでも帰れるようにだと思っ
たのですか?」
「そうだ」
「そんな事はないですからね」
「そう」
彼は正面を向いたまま静かに笑った。
零司さんは私が思うよりも、いろんな事を考えているのだなと感じた。
「部屋の中に戻りましょうか。煙草だったら中で吸えばいいですよ」
私の言葉に彼はまた笑った。
「花澄」
「はい?」
「……悪かった」
「……はい」
相変わらず零司さんは私の方を見てはくれなかったけれど、繋がれた手の温度
はどこまでも優しく温かかった。
「でも、おまえの方が数十倍悪いんだけどな」
「判っています」
「部屋、戻るぞ」
ゆっくりと手がほどかれそうになるから私は強く握り締めた。
零司さんの視線が私に落ちてくる。
「まだ、繋いでいたいです」
「繋いでいたいのは、手だけか?」
彼は笑って、私の手をひきながら部屋の中へと入った。
ベランダの窓が閉められた瞬間、抱き締められ唇の温度が私の唇へと落ちてく
る。
「零司さんでないと……嫌なんです」
「もっと違う言葉が聞きたい」
「え?」
「違う言葉を聞かせろよ」
「違うって??」

すっきりと切れ上がった瞳が今度は私を真っ直ぐに見詰め、とらえていた。
普段は静かに輝いているそれが今は色をつけて私を映している。

「おまえは俺をどう思っている?」

唇が震えた。




『そうだよな、おまえは好きでもない男に毎晩抱かれたって構わない女だもん
な』

『好きでもない人間に、抱いてくれと言える女だって事、忘れてた』

『だけど、好きなわけじゃないだろ』

『……ああいう男の方が良いの?』

『俺、よりも?』


彼の言葉をうやむやに聞いていたわけではない。
だけど、投げられた言葉をそのまま受け取っていいのかを判断できなかっただ
けだ。

一言。
たった一言、伝えればいいだけなのかもしれなかった。

私が自分の心を認めて、迷わなければいいだけ?
――――だけど。

「……なんで泣き始める?」
「私……は、すごく、すごく貪欲な人間なんです」
「それが?」
「欲しいと思ってしまったら、それは絶対なんです」
「欲しいって、なにをだよ」

涙が溢れて止まらない。
聞き分けのない子供のような心が騒いでる。

電車の中での出来事が思い出された。

零司さんを見詰める女性達の視線。
私はあのとき、彼の隣に並ぶ事が出来る誇らしさよりも、並んで比べられる惨
めさよりも、この人は自分のものだと叫びたい気持ちの方が遥かに大きかった。

零司さんが欲しい。

抑えても抑えても溢れてくる欲求する想い。

もう何もなかった頃にはとうに戻れなくなっていたのに、それでもギリギリの
ところで抑えつけていた感情。

「さ、きに言って下さい」
「なにをだ」
「私に言わせたい言葉があるんだったら、それを零司さんが先に言って下さい」

小さく息をついてから、彼は言った。

「従順なのかと思えば、驚くほど頑固だよな、おまえって」
「従順にしておきたいんだったら、わ、たしの意思とかそんなの、聞かないで
下さい」
頬を伝う涙を、彼の指が拭った。
指の感触。
居酒屋で、零司さんが初めて私に触れてきたときの事が思い出される。

あそこから、全てが始まった。

何処かで断ち切らなければ駄目だと思いながらも、結局断ち切る事も諦める事
も出来ずに今日まできてしまった。
それで何をぐずぐず迷うのかと自分でも判っているけれど。

見上げると彼が笑った。

「本当、おまえには負けたよ」


私の頬にあった彼の手が背中に回り、優しく私を抱き締める。

「ずっと、傍に居たいんです」
「……ああ、居ればいい。俺はそう言った筈だ」
「はい」
「これから先は……俺の傍を離れる事は許さない」

短いキスの後、彼は静かに言った。

「花澄、愛してる」

「……愛しています」

強く彼の身体を抱き締めた。








外界の音がまるで聞こえないこの場所だから、流れ行く時間がゆっくりしたも
のに感じた。
彼がそこに居てくれるのであれば、ゆっくりと流れる時間はもっと遅くて構わ
ない。



愛おしい時間をもっと感じていたいから、ここから先は―――――。




rit.








〜FIN〜

BACK TOP 

イチャラブ編

-・-・-Copyright (c) 2011 yuu sakuradate All rights reserved.-・-・-

>>>>>>cm:



rit.〜りたるだんど〜の零司視点の物語



Material by ミントBlue  Designed by TENKIYA