****** 社内には数ヶ所自動販売機があって、総務から一番近い場所は喫煙所の前だっ たので、私は飲み物を買う時はいつもそこを利用していた。 この会社は分煙がきちんとされていて、喫煙所はひとつの部屋がまるまる使わ れ空間が完全に分けられていた。 聞いた話によれば、中もきちんと換気が行き届いていて、灰皿も煙を吸い込む システムになっているらしかった。 私は中に入った事がないから確かめたわけじゃないけれど。 小銭を入れてボタンを押したところで、喫煙所の扉が開く気配がした。 振り返ると、零司さんが居る。 「あ、零司さん」 彼は軽度の近眼らしく、仕事をするときや自動車を運転するときは眼鏡をかけ ている。 そのレンズ越しでも、ご機嫌悪そうな瞳の色がありありと判った。 「え……っと、機嫌、悪い……ですよね」 「誰のせい?」 零司さんはそう言って薄く笑った。 「私でしょうか?」 「そうだろうねぇ」 「で、でも、あの」 「おまえ」 追い詰められて、私のすぐ後ろには自動販売機。 彼は自動販売機に手をついて私を見下ろしてくる。 「どこかに閉じ込めてやろうか?」 少し笑いながら言っているものの、それが逆に怖い。 「え?? あ、あのっ」 「俺だけのモノなんだろ?」 「そ、そうですけど……」 「だったら、いいだろ」 「そういう問題では」 「俺だけでは不服か? そういうわけ」 「違いますよっ」 小さく息を吐いてから彼は言う。 「可愛い彼女をもつと、苦労が絶えなくて困るな」 「か、可愛いとか言ってる場合じゃ……人に見られますよ、こんなところだと」 「人に見られないような場所ならいいと、そういう事か」 「違います。わきまえて下さいと言っているんです」 「西木とはいちゃつくくせに」 「いちゃついていないですし、こんな、至近距離じゃなかったです」 「いちゃついていたと、俺が言っているのだからそうなんだよ」 僅かに目を細めて彼が言った。 「れ、零司さん、困らせないで下さい」 「その言葉、まんまおまえに返してやるよ」 ふっと顔の前に影が落ち、一瞬だけ唇同士が触れ合った。 「ちょっ……」 「こんなんじゃ、全然足りないぐらいだけど我慢してやる」 「じ、自由人なんだから!」 身体が震える。 もっと彼と触れ合いたいという欲求に火がつけられてしまった。 零司さんは特別すぎて本当に困ってしまう。 外見の美しさ以上に、彼が持つ引力のようなものに私は堪らなく引き寄せられ る。 心が反応する前に、本能の部分が彼を求めている気がした。 それは最初に触れ合った時からそうだった。 抱いて欲しいと、考える前に口に出してしまったのがいい例で……。 零司さんと居るとどんな風にモラルを重んじてみても、突然、そんなものはど うでもいいと思ってしまう瞬間がある。 「誘うような顔してる」 「し、てないです」 息をするのも辛くなるぐらいの情欲。 我慢出来ないと狂ったように叫びたくなる。 「もっとして欲しいの?」 首を振ると彼は笑った。 「そういう風には見えないけどね」 「意地悪しないで下さい」 「意地悪してるつもりはないけど? でも、おまえが“そう”だと言うなら」 くくっと彼は笑い、そのすっきりと切れ上がった焦げ茶色の瞳を甘く滲ませた。 「今日一日、残りの時間を俺の事だけ考えて過ごせばいい、そうしたらおまえ が望むものを今夜あげてもいいかな」 彼を見上げると、零司さんは凄く楽しそうな表情を浮かべていた。 「零司さんって、本当いじめっ子ですよね」 「どこが? こんなに優しい男は他に居ないと思うけどね」 「優しいと思っているのなら、それは勘違いです」 「へぇ? じゃあ」 顎に指をかけられ、俯けないようにさせられる。 酷薄そうな瞳が今は本当にそのように見えた。 「優しくしなくていいわけ? 俺は俺が思うままにしていればいいの?」 「……そ、それは、多分、凄く困ります」 「困るかどうかは、そんなのやってみなければ判らないだろ」 「判らないっていうのはそうかもしれませんが、でも酷い目に遭う予感はすっ ごくします」 「だったらおとなしく言う事をきけよ」 「言う事……って?」 「俺の事だけ考えていろと言っている。二度言わせるな」 零司さんは少し屈んで、私が購入した桃のジュースを取り出し口から取って渡 してくる。 「簡単な命令だろ?」 「……やっぱり、いじめっ子です」 鎮まりそうにない情欲を、私は懸命に抑えようと冷たい缶をぎゅっと握り締め た。
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rit.〜りたるだんど〜の零司視点の物語