****** 「何、そんなに感動したのか? 俺の歌を聴いて」 ステージから降りてきた零司さんは少し涙ぐむ私を見て笑った。 「……ンなわけないか、どうした?」 「大丈夫、です」 「大丈夫かどうかなんて聞いてねぇんだよ」 頬に触れてくる彼の掌の温もりに安堵する。 近い場所に零司さんが居ると実感が出来たから。 「悪い、零司。俺が余計な事を言ったからだと思う」 「余計な事って?」 零司さんがマスターを見ると、彼は苦笑いをした。 「レコード会社と揉めたって話さ」 「……ああ」 薄く笑って、ギターをケースに戻すと零司さんは私の横に座った。 「昔の話だよ、花澄」 「そうなんですか?」 「ああ、俺がまだ大学生だった頃の話さ」 「零司さんはプロだったのですか」 「いいや、デビュー前に揉めたから結局CDは出せずじまいだったな」 くくっと彼は笑った。 「何か飲むか? 俺はコロナビールにするけど」 「あ、じゃあ……私も同じものでお願いします」 「うん、マスター、コロナ2つね」 零司さんは小さなメニュー表を近くのテーブルから取り、それを私に見せてく る。 「何か喰うだろ? まぁ、簡単なものしかねぇけど」 「え、えと……“マスターのカレー”にしようかな」 「ああ、いい選択だな、それ以外は冷食だから」 カレーをふたつ追加注文をしてから、零司さんは私の手をひいて奥の席へと移 動した。 「あ、あの」 「うん?」 「……揉めていなければ、零司さんはCDデビューしていたって事なのですか ?」 「んー、まぁ、そうだろうけど」 「なんか、凄いんですね」 「凄くはねぇよ、別にデビューしたわけでもないんだし」 「で、でも」 「本当に凄い人間なら、デビューしてるさ。俺は“ホンモノ”ではなかったっ て事、それだけだ」 「……」 マスターが持ってきたコロナビールにライムを絞って入れると、彼はひとくち ビールを呑んだ。 「歌が好きじゃないっていうのは……その時の事がなにか影響しているんです か?」 「……そうだな、昔はギターを弾く事も歌う事も好きだったからな」 「勿体無いですね……」 「別に」 「勿体無いですよ、ギターも歌も素敵なのに。零司さんは全然弾けない人とか ではないじゃないですか。もっと歌ったり弾いたりして欲しいです」 そこまで言って私は口を結んだ。 ――――だけど。 彼が遠い世界の人になるのは嫌だ、と思えた。 「……気が向けば、歌う事もある」 「そう、ですか」 ふっ、と小さく彼は笑ってから私の腰を軽く抱いた。 「でもおまえがどうしてもと望むのなら歌ってやっても構わないぜ、おまえの 為だけにならな」 「私の為だけ……ですか?」 「ただし、ラブソングは不可」 「どうして……って、聞いてもいいですか?」 「純粋に嫌いだからってだけだ」 「でも、揉めたのってそれが理由ですよね?」 「ああ、まぁ、揉めたっていうか嫌いだから歌いたくないって言っただけ」 「話がよく……見えてこないのですが」 「んー……」 またビールをひとくち飲んでから、零司さんはちょっと息を吐いた。 「深い意味なんてねぇんだけどさ、昔っから恋愛を語った歌はあざとい感じが して好きじゃないんだよ。歌う為の歌じゃなくて、売る為の歌って感じがする からさ」 「……」 「CDにする曲も、一曲は俺が作ったものだったんだけどカップリングにする 曲が売る為だけのいかにもっていうラブソングをゴリ押ししてきたから、それ じゃあ俺は歌わないし契約もやめたって投げたんだよ」 「え、そ……そうなんですか」 「その時に、俺は何の為に歌ったり曲作ったりしてるんだろうって思って以来、 音楽がどうでもよくなった。それだけの話だ、判った?」 「えと、は、はい」 彼との会話をふと思い出す。 『おまえは、何故ギターを弾く?』 『何故って??』 『目的だよ』 『えっと、楽しいから?』 『……それだけか』 『他に何かなければいけないのでしょうか』 『……さぁ』 零司さんは、プロを目指してギターを弾いていたのかな。 目的がなくなったから弾かなくなったの? 歌わなくなってしまったの? 好きじゃないと言ってしまうほどになってしまったの?? 音に溢れた人だから、ただ楽しいだけでは駄目なのだろうか。 それも少し寂しいと私は思ってしまった。 「変な顔して、まだ何か不満な事でもあるのか」 零司さんが私を覗き込むようにして見てきた。 「ふっ、不満とかそんなのないですよ」 「じゃあ、がっかりした? 根性ないヤツだなって」 「がっかり……とか、意味が判らないです」 「理由はどうであれ仕事を途中で投げた事には変わりないからな」 私は首を振った。 「私はただ、音楽が好きだったのなら純粋に楽しんで欲しい思うだけです」 「楽しむ……ねぇ……」 「色々勿体無いですよ……でも」 「でも?」 「……遠くには、行かないで下さい」 私の言葉に彼は微笑んだ。 「俺には行きたい場所なんて何処にもない、おまえが居る世界が俺の全てだ」 「……狭い、世界……ですね」 「だけど俺には丁度いい」 愛しい気持ちが高まって、涙が零れそうになる。 「おまえは不思議な女だな、花澄の為なら……なんでもしてやりたいと思わさ れる」 ふっ、と彼は小さく笑いながらそんな事を言った。 食事がし終わるぐらいに、グループのお客さんがやってきて、私たちはライブ ハウスをあとにした。
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rit.〜りたるだんど〜の零司視点の物語