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rit.2〜りたるだんど〜 STAGE.8


******

――――あれから。
加賀君の姿を見る事はなかった。
会社まで押しかけてくるぐらいなのだから、しつこく付きまとわれたら嫌だな
と思っていたので正直ほっとした。

「俺だったらとことん追い掛け回すけどな」
白い陶磁器のポットで優雅に紅茶を淹れながら、零司さんはそんな事を言う。
「怖い事言わないで下さいよ、気がおかしくなります」
「怖い? 俺に追い掛け回されるのがか?」
くくっと彼は笑った。
「いえ、加賀君に、ですよ」
「ああ、ヤツね。まぁ、しつこくするなら対策を、とは考えていたけど」
「対策ってなんですか?」
「うん、必要じゃなくなったから、言わない」
かちゃり、と私の前に紅茶の入ったカップを置きながら零司さんは笑った。
「……そう、ですか」
ふんわりと苺の香りがする紅茶を飲みながら、息をひとつ吐いた。
「この紅茶美味しいですね」
「そう? 良かった」
「零司さんの家って、いつの間に買ったんだろうって品物が多いですよね。こ
の紅茶も前はなかったですよね」
「俺の家っていうか、おまえの家でもあるだろ」
「え? あ……」
「そりゃあ、ちょっとでも花澄が住みやすくなるようにとかは考えるよ。そん
なの当然だろ? 俺はもともとコーヒーしか飲まないけど、おまえは飲めない
人間なんだし? 飲めないものしか置いておかないのは変だろ」
「飲めないとか、言った事ありましたか?」
「言われなくても判る事もある」
「あ、そうなんですね」
「うん、おまえの事だし余計だ」
「……なんだか、嬉しいです」
「そう?」
「はい」

一緒に住み始めてから、私はずっと心配していた事があった。
他人と住む。
そこに生まれる摩擦。
好きという気持ちがあっても生まれてくる息苦しさ。
そういったものを覚悟していた。

零司さんは好き勝手やるような人に見えて、実はそうではない気がした。
頭の回転が速いからなのか洞察力が優れているからなのか、私が何か言わなく
ても先回りして何かをしてくれているような気がする。
例えば、この紅茶にしてもそうだけど……。

「零司さんは、辛くはないですか?」
「辛いって何が?」
「他人と暮らしていて、辛かったりとか息苦しかったりとかしないのかなって
思ったんです」
「他人って?」
「えと、私、です」
「おまえは他人じゃねぇし」
「え??」
「おまえは俺のモノなんだから、俺の一部だっての」
「……そ、そうなんですか」
「それで息苦しいとか思うわけねぇだろ」
「だったら、いいんですけど……」
というか、また不思議な自論を展開させているような……。
「何、おまえは息苦しいわけ?」
「い、いいえ、そんな。凄く居心地がいいです」
「そうだろうな」
彼の言葉にちょっとだけ笑った。
「……でも」
「でも?」
「私が居ると、やれない事とか……あるんじゃないのかな? とは思うんです
が」
「……例えば?」
「ギター……とか」
私の言葉に彼はわずかに目を細めて笑った。
「またギターの話か」
「ま、またって、まだ二度目じゃないですか」
「俺は別に頻繁に弾いたりしねぇから問題ないけど。前にも言ったが、花澄が
弾きたいなら、クローゼットから出して弾けばいい」
「…………ん、と。じゃあ、弾きますから、お借りできますか?」
「え? 今?」
「はい」

かたんと、椅子から立ち上がって零司さんはクローゼットの扉を開け、そこか
らギターのハードケースを取り出した。
弾いて欲しい。と私が言っても、また結果は同じだと思えた。
だから、今度は違う選択肢を選ぶ。
「どうぞ」
彼がケースから無造作に出してきたのはドレッドノートのMartin。
(う……わ)
弾きますと言ったものの、出てきたギターの存在感に圧倒される。
「どうした?」
「え、あ、いえ……」
「ああ、チューニングしてから渡した方がいいか」
そう言って彼は、ハーモニクスで行うチューニング方法で、音を調整していく。
「ま、大体でいいだろ?」
「え、えっと……はい」
零司さんは簡単にそれをやってみせるけど、ハーモニクス自体がそもそも初心
者とかであるなら、さっとは出来ないもの。
そのギターの扱い方を見ていたら到底“弾けない人”とは思えなかった。
「……零司さん“チェリー”って知ってますか?」
「は? チェリーって、スピッツのか?」
「はい、そうです」
「知ってるけど……」
「私、あの曲が好きなんですけど、難しいですよね」
「そんなに難しいコード進行だったか?」
「えっと、リズムの取り方が結構難しいかなぁって」
「……ふーん」
「知っているなら、教えて欲しいって思うんですけど」
「はぁ?」
彼は私を一度見てから、くくっと笑った。
「曲は知ってると言ったけど、弾けるなんて一言も言ってねぇぞ」
「でも、零司さんはあの曲を難しいとは思っていないんですよね」
「……何、その下手な誘導」
零司さんは薄く笑ってから、ピックで弦を弾いた。
「だって、聞いてみたいんです。零司さんのギターも歌も」
「歌は無理。歌詞とか判らねぇし」
そう言って、彼は弾き始めた。

歌詞が判らないと言いながらも、コード譜を見ないで弾ける。

零司さんの頭の中には、きっと音が溢れているんだなと思えた。

「素敵です。ギターが歌っているみたいでした」
「歌う……ねぇ」
彼は少しだけ笑ってから、私にギターとピックを渡してきた。
「零司さんのように弾けたら、楽しいんでしょうね」
「楽しかねぇよ」
「そうですか? だって、ギターも楽しそうでしたよ」
私が奏でるそれはどこかぎこちない。
だけど、零司さんのギターは良い音を出してくれた。
「おまえは、何故ギターを弾く?」
「何故って??」
「目的だよ」
「えっと、楽しいから?」
「……それだけか」
「他に何かなければいけないのでしょうか」
「……さぁ」
零司さんは小さく笑った。
「……このギター、とてもいい音を出しますね」
「気に入ったんなら、やるよ」
「とっ、とんでもない、こんな高価そうな、ギター頂けないです」
「値段とか、どうでもいいけど」
あげると簡単に言う彼の言葉には、ギターとの決別が隠されているような気が
した。
「わ、私、こうみえて、欲しいギターがあるんですよ」
「ふーん? どんな?」
「……ヤイリのドレッドノートが欲しいんです」
「ヤイリ? Kか? それともSの方?」
「あ、K.ヤイリの方です、ご存知でしたか」
「……」
零司さんは少しだけ考えるような表情をしている。
なんだろう?
「欲しい型番とか、木の種類とかは決まっているのか」
「え? あ、いえ……それは、まだです。なんていうか、いずれは欲しいなぁ
って思っている感じなので」
「ふぅん」
「あそこのギターは、憧れなんです」

私の言葉を聞いているか聞いていないのか判らないような表情を零司さんはし
ていた。



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rit.〜りたるだんど〜の零司視点の物語

 

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