****** 「あれ?花澄?」 駅近くにあるコンビニ前を差し掛かったときに声を掛けられ、顔を上げると、 其処には零司さんが立っていた。 「れ……い、じさん」 「総務が残業って珍しいな」 「あ、あの……残業、とかじゃ、ないので」 「へーえ?残業じゃなかったら、こんな時間まで何をしてたのかな、おまえは」 彼は笑った。 相変わらずのその美しい顔で。 私の心臓は痛いと感じるぐらいに早い脈を打っていた。 「ちょっと、ぼんやりしてただけです」 「ぼんやりねぇ?」 「零司さんは……買い出しか何かですか?」 コンビニの前で会ったので、残業の途中抜け出して夜食でも買いに来たのかと、 咄嗟に思った。 だけど、ふっと見ると、手にはボストンバッグを持っている。 「買い出しね、俺が出張に行ってたのも知らないって様子だな」 「え?あ、そうだったんですか」 「何なんだよ、その無関心さは」 彼は笑った。 「無関心とかじゃないです、だって、社員の出張の手配は私の仕事ではないで すし、零司さんとは普段会わないときは全然会わないから、会社に居るかも判 らないし」 「ふーん、判らないねぇ。俺の姿が見えなくても、おまえは何とも感じなかっ たってわけか、この1週間」 「何ともとかって、そんな」 「会えないから、会いに行こうとか、そんなのも思わなかったって事だ」 「だ、だって」 「んー、俺も落ちたものだな」 「あ、あの」 彼はその差20cm以上ある高い所から私を見下ろして来る。 「一度、会社に戻ろうかと思ってたけど、ま、今日は良いか、来い」 零司さんは踵を返して、駅へと歩き出した。 「花澄」 「は、はい」 「おまえに選ばせてやるよ、俺の部屋とホテル、どっちが良い?」 「え?あ、れ、零司さん……の、お部屋が良い……です」 「ん」 大きな手が私の手を掴む。 彼の体温や、その肌の感触を感じただけで目が回りそうになった。 さっき零司さんを見た瞬間から、もう身体全部が切ない感じになってしまって ただでさえ苦しかったのに、余計切なさが増して苦しくなる。 身体の中がざわざわする。 電車に乗り、ドア近くに立つと彼は身を屈めてそっと私に囁いた。 「何で震えてる?」 「……れ、零司さんが、触れてるから……」 「へーえ?」 すぐ傍に零司さんが居て、彼の強すぎない香水の香りがする。 その事でさえも今の私には強すぎる刺激だったのに、彼は掴んでいた手を、指 を絡めあうようなつなぎ方に変えてくる。 そうされると余計に身体の切なさが強くなってしまい、震えも止まらなくなっ てしまう。 「震えすぎだろ」 「だ、だって、止まらないんです」 「どうやったら、止まるのかな」 くすっと彼は笑った。 それから小さく囁く。 「ドアに押し付けて、後ろから犯してやろうか?」 甘い声で誘うように言うから、私は半分以上本気でもう今すぐそうされたいと 思ってしまった。 身体も脳内も、こんな風になってしまうのは初めてだった。 手を繋いでいるという事以外彼は何もしていないのに、私の身体は内部が溶け たように潤ってしまっている事だろう。 体調が悪いと、指が直接入り込んでも濡れなかったりするのに。 そっと様子をうかがうように彼を見上げると、零司さんは笑った。 「おまえ、良い表情するよな」 彼の家は会社から電車で10分程の所にある。 都心部のタワーマンション。 部屋の内部はワンルームではあるけれども広々としていて、家賃が高いんだろ うなという事を、初めて行った時に思った。 マンション入口を入ってすぐのところにはカウンターがあり、コンシェルジュ と呼ばれる人が常に居る。 そんなところに零司さんは住んでいた。 前回は酔ったまま来たから、高級そうだな、なんてぼんやり思ったものだった けれど、今日はその外観や綺麗な内装に圧倒される感じがした。 マンションの廊下だって、さながらホテルのようだ。 「きょろきょろするな」 「あ、す、すみません」 「この前だって来てるだろ」 「この前は、酔っていたので……」 「ふーん?」 「マンションっていうより、内装がホテルっぽいですよね」 私がそう言うと零司さんは、ふっと小さく笑う。 「乗りな」 「あ、はい」 5基あるうちの1基のエレベーターの扉が開いた。 零司さんの部屋は26階にある。 階数ボタンを押して、扉が閉まると彼が言った。 「誰とホテルに行ってるのかな、おまえは」 「え?誰って……」 私は思わず、赤くなってしまった。 「そ、そういうんじゃなくて、旅行とかで、泊まったりするシティホテルに似 てるって思ったんです」 「旅行には一人で行かないだろ」 「それは、そうかもしれないですけど」 「……旅行ねぇ」 「と、友達とかとですよっ」 「へえ?」 「勿論、女の子ですよ」 「ふうん」 「そういうの……疑われても仕方がないのかも知れないですけど」 恋人じゃない人と、平気で寝られる女なんだから。 「俺に疑われても“仕方がない”で終わりか?」 「え?」 見上げると彼は笑った。 26階にエレベーターが着いて、扉が開く。 「ほら、降りろ」 「は、はい、すみません」 先に私が降りて、後から零司さんが降りたけれど、彼が歩き出すのを待ってう しろに続いた。 彼の部屋は突き当たりの部屋だ。 ……確か、大きなベランダがあったような気がする。 部屋の扉が開けられて中に入った。 零司さんはまっすぐに部屋に向かって歩いていき、リビングに繋がる扉を開け てすぐのキッチンのカウンターに無造作に鍵を置いた。 酔っていない分、頭の中がクリアで、居心地の悪さを感じる。 零司さんがボストンバッグをソファの横に置いたり、ジャケットを脱いだりし ている様子を、ただ目で追うだけになってしまう。 「何してる?座れよ」 「あ……は、はい」 黒の革張りのソファに座った途端、抱き締められて唇を奪われた。 重なっているその柔らかな唇が零司さんの物だと意識すればするほどに、身体 がまた先ほどのような切なさでいっぱいになってしまう。 「今日は、呑んでいない状態でおまえはここまで来た。“酔った勢いで”とい う言い訳は出来なくなったわけだな」 彼はそう言うと小さく笑った。 少し長めの前髪から覗く、切れ長の瞳が私を映している。 零司さんが自分を見ているのだと思うだけで、心の中が震えた。 「言い訳……とかは、しないです」 「誰とでも寝られるから?」 彼は私が一番言われたくないと思っている言葉をさらりと言う。 「抱かれたいとか、誰にでも言うから言い訳をする必要もない、そういう事か」 「そっ、それは違います、だけど……それだって、言い訳のしようがないです」 「そう、違うんだと言いながら言い訳をしないのは、俺にはどう思われようと 構わないという事だな」 「どう思われても良いとかは思ってないです」 「では、どう思われたいんだ?」 「……それが判っていたら、言ってます」 「なんだよ、それ」 零司さんはくくっと笑った。 「でも、あの……ひとつだけ……」 私は彼の長袖のシャツの袖を少しだけ握った。 「凄く……会いたかったんです」 様子をうかがうように零司さんを見上げると、彼は黙って私を見下ろしている。 「ほ、本当なんです……よ?」 「セックスがしたかったからか」 「違います」 「違うと言い切れるのなら、今日はしないぜ?」 「構わないです」 「じゃあ、何故おまえはここまで来たんだよ」 「傍に居たかったからです」 「なんで傍に居たいわけ?」 「それは判りません」 「なんだそれ」 くくっと彼は笑った。 「理由もなしについてきたのか」 「だって……もう少し、傍に居たいって思ったから……零司さんとはまたいつ 会えるか、判らない……し」 私の言葉に彼はその形の良い唇の端を少しだけ上げた。 「いつ会えるか判らないって、会いたいなら会いたいと俺に言えば良いだけの 話じゃないのか」 「そんなのどうやって言えば良いんですか?私は零司さんの携帯番号もメール アドレスも知らないんですよ?」 「それだって、教えて欲しいと言えば良いだけじゃないのか?知りたければの 話だけど」 「そ、そんなの、知りたいに……決まってるじゃないですか」 「決まっているかどうかなんて知らないよ、俺はおまえじゃない」 「……確かに、そうですけど……だって」 「だってなんだよ」 「教えてくれないから、教えたくないのかなって」 「教えないから教えたくないんだという理屈を通したいんだったら、おまえだ って俺にアドレスを教えなかったわけだから、おまえは俺に携帯番号もアドレ スも教えたくないと思っていると理解して良い事になるけどそれで良いのか?」 「そんなっ、教えたくないとか思ってないです」 「で?結局なんなんだよ」 「…………その……携帯の番号と、メアド、教えて下さい」 彼は笑った。 「初めからそう言え」 私は、ちらっと零司さんを見上げた。 「なんだ?」 「それって、あの……たまにだったら、会って貰えるという事……なのですか?」 「たまにってどれぐらいのスパンだよ」 「ええっと……1ヶ月に、1回……とか」 「なにそれ」 「あ、じゃ、じゃあ、2ヶ月に1回とかでも良いです」 彼はちょっとだけ息を吐く。 「おまえさぁ、2ヶ月に1回とかで我慢出来るのか?その期間俺に会えなくて も平気なのか」 「だ、だって設計部は仕事忙しいし零司さんの都合とか私、判らないですから」 「24時間仕事なんかしてないだろ。それと都合は聞けっての」 「は、はい」 「で?どの位の頻度で会いたいと思ってるんだ」 「会えるんだったら、いっぱい、会いたいです」 「いっぱいとかじゃ判らない、具体的に言えよ」 「……じゃあ、あの……1週間に1回は会いたいです」 「週1で良いのか」 「会えるんだったら、もっとが良いです」 「もっとって?」 「3日に1回……とか」 見上げると、彼は笑った。 「3日に1度で良いんだな?」 私は、大きい箱と小さい箱と1つ選ぶならどちらが良い?とか、あなたが落し たのは金の斧ですか?銀の斧ですか?と問いただされているような気持ちにな った。 昔話にもあるように、欲張れば酷い目にあう。 「3日に1回で、良いです」 私が出した答えに零司さんは笑った。 「それは却下だ」 「え……ええっ?」 「おまえは3日に1度俺に会えれば満足なのかもしれないが、俺は嫌だ」 「……ひ、ひどい、です。人に言わせておいて」 「そうかな、ひどいのはおまえの方だと思うぜ。俺の事を3日に1度程度の男 だと言ったのだから」 「そんな風には言ってないです、欲張っちゃいけないって思ったから」 「ヤダねぇ、そういう謙虚になるのが美徳だとか思っちゃうのって」 「美徳とか、思ってないです」 「ふーん、じゃあ3日に1度が本心なんだ」 「あ、会えるんだったら、私は毎日だって会いたいです、でも……」 「良いんじゃないのか?毎日だって」 「え、え??」 「おまえが、そう思っているのならの話だけどな」 私は瞬きを何度かしながら、彼を見上げた。 「その……毎日、会いたい……です」 「そう」 「……会えないと、苦しいとか、思ってしまうんです」 「そうか」 「零司さんの事ばかり考えちゃうんです、でも、こんなの……なんか、鬱陶し いですよね」 「別に構わない」 「……じゃあ、私が零司さんの事、考えたりとかしちゃってても良いんですか?」 「良いけど」 あ、なんか嬉しい。 思わず笑顔になると、彼がくくっと可笑しそうに笑った。 「面白いな、おまえ」 「え?な、何がですか?」 「顔」 「………………ひどいです……」 「何か飲むか」 「え?あ……」 「冷蔵庫の中にビールが入っているから1缶持って来い。あと、おまえが飲む 分もだ」 「え、えっと、はい」 彼に命じられるがままに立ち上がって、キッチンに入る。 一人暮らしの割りに大きな冷蔵庫があって、そこを開けると、ビールが数本入 っていた。 それと、桃や葡萄の缶チューハイ。 前回私がここで飲んだ銘柄のものや違うものが色々入っている。 「え、と」 葡萄のお酒とビールをひとつずつ手にとって、彼の所へ戻った。 「零司さんの家の冷蔵庫には飲み物しか入ってないんですね」 「冷蔵庫の中を見ての感想第一番目がソレかよ」 ソファの肘に頬杖をついた状態で、彼が立っている私を見上げた。 「え?あ、ええと、一人暮らしの割りに大きな冷蔵庫なんですね」 「大きさなんてどうだって良いだろ」 「それは、そうですけど……」 「感想はそれだけか」 「んー、綺麗な冷蔵庫ですね?」 「もういいよ」 彼が笑って手を差し出すから、私は持ってきたビールを差し出す。 「開けてから渡しな」 「あ、すみません」 ぷしゅっと、プルタブを開けてからそれを彼に渡した。 「だけど、おまえが言うように、食べ物は確かにないな」 「下のコンビニで何か買って来ましょうか?」 「俺は良いんだけど、花澄がお腹空いているんじゃないかと思ったんだけどね」 「まぁ、確かに空いてはいますけど」 「何かとるか?ピザとか」 「ええと……家に帰ったらご飯があると思うんで、帰ってから食べるので大丈 夫です」 「は?おまえ、帰る気でいるの」 彼はビールを一口飲んでから笑った。 「え?」 「帰す気なんて毛頭ないんだけど」 「え、あ……今日はお泊りしていっても良いって事でしょうか?」 「お泊り、ね。まあ、そうだな」 長く一緒に過ごせるんだなって考えたら、なんだか嬉しくなってしまう。 「何にやにやしてるんだ?」 「にっ、にやにやとか、言わないで下さいっ」 「違うのか」 「ちょっと、笑っただけです」 「へーえ」 零司さんは、ふっと笑った。 「零司さんみたいに、綺麗に笑えないですよ、どうせ」 私は持ってきた葡萄のお酒を開けて飲んだ。 「良いんじゃないの?可愛いんだし」 「かっ……可愛くもないと思いますけど」 「褒めたら否定するんだな」 彼は持っていたビールの缶を、すぐ傍のガラステーブルに置いた。 「言われ慣れてない事を言われると、恥ずかしくなるんです」 「慣れてない、ねぇ……」 零司さんは腕を組んでから斜めに私を見て来る。 「……な、なんですか?前も言いましたけど本当の事ですよ?」 「煙草吸うぞ」 「あ、はい、どうぞ」 彼は煙草を1本取り出すと、口に咥えて火をつけた。 「どーせ、言われてても気付いてないだけなんじゃないのか?」 「そんな事ないと思いますけど」 「ま、気付いてない人間には何を言ってもって感じだけどな」 「零司、さん?」 「とにかくだ、おまえは可愛いんだよ」 「え?えっと、あ、ありがとう……ございます」 褒められているんだけど、凄く居心地悪いと言うか、なんだかむずむずするの はなんだろう。 「で」 「は、はい?」 「おまえは何で床に座っているのかな」 何となく零司さんの横に座るのは気が引けて、ビールを持ってきた後そのまま 床に腰を下ろしてしまったんだけど……。 「こっちの方が、その、落ち着くからです」 「落ち着くってどういう意味だ?」 彼は煙草の煙を吐き出してから笑った。 「だって、零司さんの傍は緊張しちゃうから、だからこっちの方が……」 「へーえ?」 ガラスのテーブルに置かれた灰皿に煙草を押し付けてから、彼は立ち上がり私 の横にやってくる。 「緊張ねぇ?」 「れ、零司さん」 頬に彼の唇が触れる。 髪には指が。 そんな風に触られたら、否応なしに胸が痛くなってきてしまう。 どきどきと、心臓がうるさくて。 ――緊張と、興奮で高まっているのはすぐに判った。 この人が触れたら、自分が気持ち良くなってしまう事を私は知ってしまってい るから、最初に触れられた時の緊張とは質が違ってしまっている。 全身が切ない。 身体の真ん中が熱くて堪らなくて、どうにかされないとおかしくなってしまう と思えるほどだった。 なんでこんな風に私は溺れてしまっているの? 溺れているのは行為に? それとも零司さんに?? セックスをしたのは彼が初めてでは無いし、今までの人とだって満足はしてき た筈なのに、零司さんに与えられるものは今まで満足だったものを更に越える ような何かだった。 ううん。 セックスをする前だってそうだ。 抱かれたいと口に出して言ってしまった時だって、彼は性的に私に何かアピー ルしてきた事は何もなかったというのに、まるで散々愛撫された後みたいに私 の思考能力はすっかり落ちてしまい、尚且つ、そういう行為の事しか考えられ なくなってしまっていた。 今だって、彼は舐るようなキスをするわけでもなく、むしろ唇を避けるように 短いキスをして、私の髪の感触を楽しむかのように指で弄っている、ただそれ だけなのに、私の身体はすっかり出来上がってしまっている。 自分がこんな風になってしまうのは彼が初めてで、知れば知るほど嵌って動け なくなりそうで怖いと思うのに、だけど今感じている衝動をどうにかしたくて 堪らなくて、もう彼に“どんな風に”思われたって構わないから抱いて下さい と懇願したくなってしまう。 だけど、彼に会いたかった気持ちは本当で、そんな私の心の一部分を護りたい とも思ってしまっているから、かろうじて唇を動かさずにいられている。 会いたい理由はセックスが目的ではない。 それは紛れもない真実だったから。 「泣きそうな顔してる、何故?」 彼は私の耳元でそっと囁くように言う。 「会いたい気持ちを嘘だって、思われたくないんです」 「嘘だとは思わないけど」 「会いたい理由を、セックスだっていう風に思われたくないんです」 「ふーん、裏を返すと今、そういう気持ちだって事か、だから泣きそうになっ てるわけ?」 くくっと彼は笑う。 ちょっと意地悪そうな表情で。 「ち、違いますっ」 「違うって事ないだろ」 零司さんの大きな手が私の頬に触れる。 それだってただ置いてるだけで、撫で回したりするわけでもないのに、身体が 勝手に高まってしまう。 心だけを置き去りにして。 零司さんは笑った。 「セックスが目的だって、俺は構わないけど。それで花澄が俺に会いたいと思 うのであれば」 「でも違うんです、それは、会えばしたくなりますけど、でも会いたいと思う 理由じゃないんです」 「じゃあ、どんな理由があるって言うのかな」 「わ、からない、です」 私は零司さんを見上げた。 「零司さんは……私に会いたいと思う事はあるんですか」 私の問いに彼は笑う。 「あ、やっぱり……今の質問、無しにして下さい」 「何だよそれ」 「だって、零司さんに会いたくないって言われても、多分私の方はそれでも会 いたいとか思ってしまうような気がするので……」 「ふぅん」 彼を見ると、零司さんは微笑んだ。 「おまえの目っていつも懇願してるような瞳だよな」 「え??」 「誰にでも、そういう目を向けてるのかと思うと苛つく」 「え?あの」 「おまえは俺だけ見てれば良いんだよ」 「れ、零司さ」 唇に、彼の唇が触れる。 軽く電気でも流されたような衝撃が身体をおそう。 痺れて麻痺するのは思考能力。 護りたいと思う気持ちが、いとも簡単に粉々にされた。 震え上がるほど興奮して高まって、求める気持ちが強くなる。 情けなくなってしまうほど欲しくなる。 どうしてこんな風になってしまうの?セックスで初めて快感を知った後だって こんなにはおかしくならなかった。 ――そしてやっぱり、彼がしてくる事は直接的なものは全くなくて、だからむ しろこれ程までに興奮をしてしまう自分が異常なのではないかと思えてしまう。 どんなに小さなキスでも、彼の唇が触れるだけで、自分の“あの部分”を舐め 回された時のように興奮して体液が溢れてきていた。 舌が触れ合おうものなら、それだけで気がおかしくなる。 理性だとか、今自分に貼り付いている貞操観念が邪魔だとさえ思ってしまう。 お願いします、抱いて下さいと床に手を着いて懇願したくなる。 ううん、もっと直接的な言葉で望む事を言いたくなる。 それで彼のものを受け止められる事が出来るなら、どんな事だって。 「辛い?」 くくっと彼は笑った。 そんな零司さんは、全くいつもと変わらなくて少しだけ悲しくなる。 多分、会いたいと思っていたのは私だけで、今、したいと思ってしまっている のも私だけなのだと、判っていても辛かった。 「私を試しているのですか?」 「試すって?」 綺麗に澄んだ瞳が私を見下ろしている。 もう、なんだって良いじゃない。 試すとか試さないとか、気持ちがどうとか。 僅かに残っていた理性が失われた。 私は腕を回し、ぎゅっと彼に抱きついた。 伝わってくる零司さんの体温に、益々身体が切なくなってきてしまう。 誰かを好きだとか想う気持ちの切なさよりも、今身体に感じている切なさの方 が何倍も強かった。 震え上がるほど痛くて、でも甘い感じがして内側が熱をもったように熱くなる。 自分では、もうどうにもならない。 どうする事も出来はしない。 「コレはどういう意味?」 「わ、たし……抱かれたい、です」 「ふうん、やらしい女だな」 「それはもう本当の事なので、どう言ってくれても思ってくれても構わないで す」 身体の底から湧き上がって来るような情欲。 押さえつけようとしても、押さえてくれる筈の理性は何処かに飛んで行ってし まっているから、私はそれに翻弄されるしかない。 「誰とでも寝るセックスが好きな女だと俺が思っても構わないと、そういう事 か」 くくっと彼は笑う。 「違うけど、違うと証明する事が出来ません」 「だったら誓いをたてろ」 零司さんは小さく笑うようにして唇の端を上げた。 「俺以外の男とは寝ないと誓え」 頬や首筋を撫でていく掌の感触に酔いながら私は応えた。 「零司さん以外とはしないです、だから……抱いて欲しいです」 それは、本当に“そう”だった。 もともと誰とでも寝る事の出来る人間ではなかったし、彼にこれだけ欲情する のに、他の人に抱かれるのは到底無理だと思えた。 彼が私を抱いてくれるなら、彼以外を欲しいだなんてきっと思えない……。 そんな風に私は感じていた。