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● 優しさの欠片 --- ACT.2 ●

  
イタノハシッテタケド、アマリシラナイソンザイダッタカラ

*****

『ネット環境は家にあるの?だったら夜はビデオチャットで話そうか』

私を家まで送る車の中で瀬能さんはそう言った。

―――――時間を与えるよ。

瀬能さんが他で費やすべき時間を私に使うという意味だったのか。
と、思った。
メールアドレスと、電話番号を交換しあった。
ほぼ強制的だったけど。

ちゃんと、見てって…瀬能さんの何を見ればいいんだろう?

本棚の中から取り出し、高校の時の卒業アルバムを開いた。
何度も何度も見ている写真。
高校3年間ずっと同じクラスで、ずっと好きだった人。

工藤君。

想いは伝えられず卒業してしまった。
ずっと見ていたから、惰性なのか卒業してからもアルバムをめくっては
彼の写真を眺めている。

(好きって言っておけば区切りもついたのかなぁ)

だけど、高校3年間同じクラスだったくせに全然話したことがなくて。

アルバムを閉じてため息をついた。
心の中がもやもやする。
想いが未消化だからなのかなと私は思った。

叶う筈もなかった想いだったけれども。

いつも遠くから、見てるだけで。
見ている事すら悟られない様にしていた。

見てるって気付かれるのが怖かったのかな?
あの時は。


『観察終了ですか』

瀬能さんの声が頭の中で響いた。
吸い込まれる様に見つめてしまったいっときの時間。

お土産で貰ったアナスイの鏡を開けて覗き込んだ。

(私が瀬能さんを見てた時、瀬能さんも私を見てたんだよね)

思わず眉間にシワが寄る。
何を考えながら、私を見てたのかな。
そもそも瀬能さんはどんな事を考える様な人なのかな。

―――――なんで、私に声をかけてきたの?

心の中がもやもやっとしてきた。

「考えるのやーめた」

籠に入れておいた茶色の毛糸とかぎ針を引っ張り出す。
いま、うさぎの編みぐるみを作っている最中なのだ。
編み物している時は頭の中が空っぽになるというか、それしか考えられ
なくなるから、良かった。

考え事が嫌いとか、そんなのではなかったのだけど。


******

翌日、会社のフロアにあるホワイトボードを見ると瀬能さんは直行、直
帰で、会社には出勤してこなかった。

(まぁ、いつもこんな感じの人だけど)

彼はいつも忙しそうだという印象が強かった。
(いつも居ないんだから知らなかったり判らなかったりしても仕方ない
と思うんだけどな)

『まるで存在しないのと同じ様な目で見られるのは少し苦痛』

存在しないのと同じ様な目で、と彼は言った。
その言葉には何故か胸が締め付けられるように痛くなった。
時間の量は関係ない、とはどういう意味なのか。

思わずため息が漏れた。

時間、…か。





『沢山時間があれば良いというものでもないだろ?』
パソコンのモニター画面に瀬能さんが映っている。
凄く不思議な感じがした。
彼は自宅にいるので当然スーツではなく、
Vネックのシャツの上にざっくりとした黒いカーディガンを着ていた。
それもなんだか見慣れなくて不思議な感じだった。
『同じフロア内の何人の名前覚えた?多分、ずっと内にいる人間の名前
も判らなかったりするんじゃないのかな』
「至らなくてすみません」
『別に怒ってるとか叱ってるとかそんなのではないから』
瀬能さんはそう言って柔らかく笑うと、マグカップに注がれたコーヒー
を飲んだ。
「生田さんは、一度見たら顔と名前を覚えられるのに」
『人は人でしょう』
さらりと前髪をかきあげて彼は言った。
「そういえば生田さんには、ハンドクリームなんですね」
『何が?』
「あの…お土産です」
『あぁ、生田さんにはっていうか、沙英ちゃん以外はみんなハンドクリ
ームだよ』
「え?そうなんですか」
『そんないちいち誰に何をあげるとか考えるの面倒でしょ』
カチッとライターに火をつけて瀬能さんは煙草を吸い始めた。
「でも…考えながら選んだって…」
『うん、沙英ちゃんのはね。結構好みだったんじゃない?あれ』
「あ、はい。薔薇とか蝶とか好きなんで、凄く気に入ってます…けど」
『だろうと思ったよ』
瀬能さんは斜めから私を見て小さく笑った。
「どうして、そう思ったのですか?」
『どうして…ねぇ』
彼は頬杖をついて私を見る。
『君の”どうして?”とか”なんで?”とかにいちいち答えてあげても
構わないんだけどね?考えなさい。どうしてそうなのか、なんでなのか
って事』
私が難しそうな顔をすると瀬能さんは笑った。
『答え合わせはしてあげないけどね』
「は…ぁ」
『考えてる間は俺の存在を強く思う事になる』
にっこり。
綺麗な表情で笑った。
綺麗だけど、今回の笑顔はいじわるっぽいそれに感じた。
「瀬能さんは、今日はもう夕飯食べたんですか?」
『俺?俺はひとりの時は食べないから』
「え!?お腹空かないんですか?」
『んー、どうかな。あぁゼリーは飲んだな』
「くだものゼリーとかですか?」
『違う違う、ウィダーインゼリー』
「あぁ…そうなんですね、それだけで大丈夫なんですか?」
『まぁ平気。ひとり寂しく食べるくらいなら食べない方がマシなので』
彼の言葉に私が絶句すると瀬能さんは笑った。
『大概会社の人間か友人と食べてるから大丈夫だよ。君が俺を心配して
いるとは微塵も思ってないけど、一応言ってみた』
「ちょっとは心配しますよ」
『ふぅん?君の心配はそんなに気安いものなの?対して知りもしない、
存在を認識してない人間の事まで心配しちゃうのか?それとも会話の流
れ上そう言わないとまずいと空気読んだつもり?』
「そういう言い方は…意地悪です」
『そうでもないと思うよ』
灰皿にとんとんと灰を落としながら彼が言った。
言い方は意地悪だったけれど、顔が笑っているのが救いだ。

そもそも。

意地悪を言っているのか、もともとこういうもの言いの人なのかが、私
には判っていないのだけど。

「明日も、瀬能さんは直行直帰な感じなんですか?」
ちらり。と彼は私を見た。
『明日も、外に出たままかな』
「そうなんですね」
冷めかけた紅茶を少しだけ飲む。
『そうなんですねー、か』
「え?」
顔を上げて画面に映る彼を見ると心なしか不機嫌そうに見える。
『まぁ、いいけどね。じゃ、そろそろ切るね。暖かくして寝なさい』
「あ、は、はい、あの…おやすみなさい」
『うん、おやすみ』
むこうの画面が消える。
最後、私の方を見てくれてなくて、やっぱり気を悪くしたのかな?と思
えた。

なんか…。
疲れました。

はぁ、とため息をひとつつく。

テーブルに置いた、アナスイの鏡を手にとって見る。

―――――どういうのを喜ぶかなって思いながら選んだから。

確かに彼はそう言った。
だけど、『そんないちいち誰に何をあげるとか考えるの面倒でしょ』と
も言った。
どうして?
私のだけ、考えてくれたという事なの?
瀬能さんが言うように、考えようとすると胸の中がモヤモヤしてきて、
考えるのをやめようって気分になってくる。

そんな事を言ったら怒られるだろうな。
怒ってないって彼は言うのだろうけど、私は怒られている様な気分にさ
せられる。
あの涼しげな瞳が責めている様な感じがするから。

(ちょっと遅くなっちゃったけど、ご飯食べようかなぁ)

冷凍庫から冷凍保存してある一人前のご飯を取り出してレンジで温める。
その間にキャベツと少しの豚肉を炒めた。

瀬能さんは一人の時はご飯食べないって言ってたけど…。
それだけ人と一緒の時間の方が多いって事なのかな。

確かに、たまに喫煙ルームで彼を見かける時も必ず誰かが側にいた様な。

一人で食べるご飯は味気ないかもしれなかったけれど、食べないって言
うのは極端だなって思えた。

(あ、そうだ)

パソコンの画面に向かい、ヤフーのオークションを表示させる。
マイページを見て出品物が落札されているかをチェックした。

自分で編んだ子供サイズの毛糸の帽子数点を出品していたのだ。
イチゴのモチーフがついている物とか、お花のものとか。
今回はうさぎの耳がついたうさ耳の帽子も出品していたのだが、それも
含めて全て落札されていた。
(やったぁ)
お箸を置いてふふっと笑ってしまった。

私は定期的に編んだ物をオークションで売りに出していた。
常連さんというのとは違うかもしれなかったけど、何度か購入してくれ
ている人もいた。
いつも喜んでくれている様子なので、嬉しくて編んでは出品を繰り返し
ていた。

(次は何を編もうかなぁ)

ご飯を食べ終わり、落札された帽子たちを綺麗に包みながらぐるっと部
屋を見渡す。

安い給料では住める所も限られていて、私が住んでいる部屋は6畳と小
さなキッチンがついているだけの部屋で、築20年ぐらいの古いアパー
トだったけど、お気に入りの物をそろえて気に入る部屋にしてきた。
自分の編んだ物を綺麗にディスプレイしてみたり。

今度の休みには新しいカーテンを買いに行こうかな。
暖色系の暖かそうな感じのものを。

ただ、外観はどうにもならないので、この前瀬能さんに送って貰った時
は、近くのコンビニの前で降ろして貰った。
あんなに可愛くて綺麗な車に乗る人だから、
きっと家もお洒落なマンションとかに住んでいるんだろうなと想像が出
来て、そういう人に自宅を見られるのは少し引け目を感じる。

パソコンの画面に映っている感じでも、瀬能さんの部屋はお洒落な感じ
だった。
ちょっと物が少なくて一見殺風景にも見えるけど、物を出して置いてな
いという事はそれだけの収納があるということだ。

(そもそもワンルームとは限らないし)

広いお部屋に大きなバルコニー。

色んな妄想をしているうちに夜がすっかり更けていった。



******


会社のフロアにあるホワイトボードでは、瀬能さんはやっぱり直行直帰
になっていたのだけど、定時近くなって、戻ってきた。
彼自身はバタバタした感じはなかったのだけど、
彼の周りの人達が、バタバタと瀬能さんに話しかけに行ったりしていた
ので、おのずと忙しそうだなぁと思うことになった。

すれ違ったり、目を合わす間もなく私は定時になったので、机の上を片
付けて帰宅する為に生田さんと共にロッカールームへ向った。

「ね?美味しいって評判のイタリア料理の店を知ってるんだけど行って
みない?」
「イタリアンですか、いいですね〜」
着替えながら携帯に目をやるとメールの着信があるのでチェックをする
と、広告メールなどの中に紛れて、瀬能さんからのメールがあった。

『夜、スケジュール空けておくように』

…うっ。

「生田さん、ごめんなさい。今日ダメになりました」
「そうなの?デート?」
「…とんでもないです」
「ん〜?よく判らないけど、じゃあイタリアンはまた今度ね」
「すみません」
頭を下げると「いいのよ」って生田さんは笑ってくれた。

空けておけって言われても、瀬能さん何時まで仕事か判らないし…。
どうやって待っていようかな。
それより、なんで言うこと聞かされているのかな。

ダメですとか嫌ですとか、なんだか言いにくい。

私は生田さんと別れて、会社近くのコーヒーショップに入り、ロイヤル
ミルクティーを注文した。

席に座って落ち着いたところで、瀬能さんの携帯へメールを送る。

『高槻です。会社近くのドトールにいます』

パタンと携帯を閉じてため息。
オークションの落札分の発送は済ませたし、新作に取り掛かりたいなぁ。
うさぎも半端に編みあがってないし、早く仕上げたいなぁ。

…卒業アルバムも見たいし。

目を閉じて、工藤くんのことを思い出す。
彼のどこが好きだったのかな。
あんなに、3年間ずっと想うくらい好きだった筈なのに、何故か彼のこ
とをあまり思い出せずにいた。

(そういえば、3年間同じクラスだったけど、話したこともなかったし、
接点もなかったから、思い出すような記憶ってないんだよね)

好きだったのに、思い出がないなんてちょっと悲しすぎる。

―――――沢山時間があれば良いというものでもないだろ?

瀬能さんの言葉をまた思い出す。

時間、かぁ。

少しぬるくなったロイヤルミルクティーに口をつける。
濃い目に感じる茶葉の味が口の中で広がった。

彼と話をする様になってから、そんなに日が経ったというわけでもない
のに、なんだかふとしたときに瀬能さんの言葉が、声が思い出される。
今の会社に派遣されて半年、彼とはすれ違い様に会釈する程度だった筈
なのに。

唇に乾いた感じを覚えて、鞄からリップクリームを取り出して塗った。
物を出し入れすると鞄についている蝶のチャームが揺れる。
私はそれをじっと見つめた。

(まさかね)

この鞄はいつも通勤に使っているものだったけれど、瀬能さんの目に留
まっているとも思いがたい。
留まるというより、目に触れることすら無い筈だ。
通勤途中に彼を見ることは無かった様に思えるし。

だとしたら、瀬能さんはどうして私が蝶を好きだって知っているんだろ
う?

冷めたロイヤルミルクティーを飲み干し、息をついた。
おかわりをした方が良いのかなと思った時、携帯が鳴った。

瀬能さんからだった―――――。



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