モドル | ススム | モクジ | トップ

● 優しさの欠片 --- ACT.3 ●

  
コナゴナニナッタ。アトハツライトイウカンジョウシカノコラナカッタ。

******


「ごめん、待たせちゃったね」
ドトールを出てすぐの場所に瀬能さんは来ていて、そんな風に私に言う
と笑って見せた。
「残務処理があったから一旦会社に戻ったんだけど、思いの外手間取っ
た」
「もう、帰っても大丈夫だったんですか?」
「大丈夫だよ。さて、何食べようか」
彼は私を見下ろすと、にっこりと笑った。
「呑みに行くのでもいいよ」
「でも」
「明日は休みだし、多少遅くなっても良いだろう?」
瞳を少しだけ細めるとまた笑った。
「その為に、わざわざ会社に戻って来たんだし。まぁ、戻らなくても呼
び出しても良かったんだけどね」
「…はぁ…」
「好きな物食べさせてあげるよ」
ちら、と見上げると瀬能さんは綺麗に微笑む。
「沙英ちゃんが決めなかったら、俺が勝手に決めるけど」
「え、えっと、じゃあ、鳥鳥市場が良いです」
彼に決めさせるととんでもなく落ち着かない高級な所に連れて行かれる
気がしたので、私がそんな風に意見を出すと、瀬能さんはちょっと渋い
顔をした。
「鳥鳥ねぇ…」
「あそこの鳥料理、美味しいんですよムネタタキとか、それに安いです
し」
「一品300円の居酒屋だろ?知ってるけど、なんか俺稼ぎ安いとか思
われてる?」
「思ってないですけど、奢って貰うなら安いところでないと困ります」
「割勘なら高いところでいいわけ?」
「割勘なら安いところでないともっと困ります」
ふっと彼は笑った。
「意味が判らない」
「ともかくです、私は鳥鳥市場がいいです」
「そ?まぁ、沙英ちゃんがそう言うなら良いけど、別に」
踵を返して駅前にある鳥鳥市場に彼は歩き出す。
でも、と私が言うと振り返った。
「会社から近いですし、他の人に見られたら困るとかなら、別の場所で
良いです」
言い終わって瀬能さんを見上げると、彼は少し不機嫌そうに目を細めた。
「別に?俺は全然構わないけど」
「あ、な…なら、良いんです」
「それってさ」
ちょっと険のあるような言い方を彼がするので、どきっとする。
「ちょっと聞くと沙英ちゃんが俺を気遣う様な感じに思えるけど、実の
ところ逆で、君が俺と居るのを見られたくないんじゃないの?」
「ち、違います、そんなんじゃないです、私は本当に…」
言いかけて彼の方を見ると、なにやら満足そうに笑っているので、私は
言葉を飲み込んだ。
「瀬能さん、やめて下さい」
「何を?」
「なんていうか、誘導的に喋らせるの」
彼はまた笑った。
「誘導的にって言うとまるで俺が沙英ちゃんがそう言うのを予測してい
るうえに、俺がそれを望んでいるみたいじゃない?」
「え?」
「俺が、沙英ちゃんに否定されないと困るみたいな言い方だよね?」
くすっと彼は笑う。
私は顔がかぁっと熱くなった。
「そんな風には考えてないです…」
「そう?」
ぽんぽんと彼が軽く私の頭を叩いた。
「俺は良いけどね、そんな風に考えてくれても」
言い終わり、叩いていた大きな掌で優しく撫でてくる。
20センチはあるかと思われる身長差で、私はこのところいつも彼を見
上げている気がした。
見上げて目が合うと優しく笑う瞳とぶつかる。
黒目がちの綺麗な瞳。
こんな風に見上げなければ気がつけなかった。
「さて、呑みに行くかな」
撫でるのを終わらせる合図のように、ぽんっと軽く叩かれる。
大きくて暖かいぬくもりをもつ手。

その手を通して強く存在を感じてしまった。
そこに彼が居るという事を意識してしまう。

画面越しに見るよりも、確かに此処にいるのだと思えた一瞬。
胸が少し痛い様なくすぐったい様な感じがした。
それは苦しいと思える感情で…。
感情?感覚?
判らないけど、なんだか居たたまれない気持ちにさせられた。

「どうかしたか?」
ふっと近い場所で声がした。
瀬能さんが屈んで私を覗き込んでいた。
「あ、どうもしないです」
慌てて顔の前で手を振ると、そう?と彼は首を傾けた。

彼が身体を起す時、ふわっといい香りがした。
それは香水ほど強いにおいではなく、仄かに香るものだった。


******


「香水?あぁ、つけてるけど」
居酒屋「鳥鳥市場」に着いてふたりで乾杯した後に、香水を何かつけて
いるのかを訊ねたらそんな返事が戻ってきた。
「でも、なんだかそんなに強いにおいじゃないんで、なんなのかなって
思ったんです」
「液体の香水はつけてないから。ソリッドパフュームってのをつけてる」
「ロクシタンとかが出してるやつですか?」
「そうそう、そのロクシタン」
「えー、そうだったんですか?ロクシタンだったら…グリーンティーあ
たりですかね?」
「うん、それだよ」
「全然気が付かなかったです。私ロクシタン大好きなんですよ」
「うん、その様だね」
瀬能さんは涼しい顔でそう言って頬杖をついた。
「あれ?私、話ししましたか?」
「いいや」
にこり。と彼は笑った。
「……ソリッドパフュームは前から使っているんですか?」
「それは最近かな。液体の香水だと君が言う様に香りの強い物が多いか
ら変えてみた」
「瀬能さんは香水好きなんですね」
私が言うと、ちらっといつものように目線を送ってくる。
「好きなわけじゃないけど。何もつけてないとフェロモン強すぎて余計
なのが寄ってくるから、それを誤魔化す為に試行錯誤してるだけであっ
て」
「え!!そうだったんですね」
フェロモン強すぎとかの言葉に驚いて私が言うと、彼は楽しそうに笑う。
「…な、わけないだろう」
「ち、違うんですか??」
「違うに決まってるだろ?面白いな、君は」
「ひどいですよね、瀬能さんって」
「今更だな、それは」
ふふっと笑う。
本当、結構よく笑う人なんだなぁと、梅酒のお湯割りを呑みながら思っ
た。
さんざんからかわれてるような気がしてならないけど。

「沙英ちゃんは休日は何をしているの?」
「休日、ですか?大抵は編み物してます」
「編み物?あの部屋に飾ってあるやつって自分で編んだ物だったりする?」
「あ、画面に映ってました?そうなんですよ、あれは自分で編んだ物で
す」
「ふぅん、細かい作業が好きなんだな」
「細かいと言うか…無心になれるので」
「ふーん」
興味があるのか無いのかよく判らない様子で、瀬能さんは私をじっと見
ている。
「せ、瀬能さんは休日は何をされてるんですか?」
そう私が訊くと彼は首を傾けた。
「そうだなぁ、映画観たり、本読んだり、とかかな」
「映画がお好きなんですね」
「いや、別に。人と話してて話題になった時受け答え出来る様にしてる
だけ。本も同じかな。話題になりそうな物のチェックをしている事が多
いな」
さらっとそんな風に言う。
「…お仕事の為、ですか?」
「仕事もそうだし、プライベートもそうだし。話の引き出しは多いほう
が良いでしょう」
「そうなんですか?なんだか大変ですね」
私の言葉に、彼は瞬きをした。
「大変、かな?元々情報を蓄えるのは好きだし、色んな事を見たり聞い
たりするのが、俺は好きだからね」
「あー…、そういうのが好きなら、大変じゃないですかね?」
「誰しも、自分が興味のある話を出来る相手というものを好ましく思う
ものだろう?」
「まぁ、そうでしょうけど、だったら瀬能さんはどういう相手を好まし
く思うのですか?」
私がそう訊くと、クス、と笑った。
「俺がどんな相手を好ましく思うとか興味あるの?」
「…それは…思ったりもしますけど」
瀬能さんが飲んでいる焼酎に入っている氷が溶けてからんと音を立てて
状態を崩した。
「好ましい、ねぇ…」
ちょっと考える様に彼は天井に目線をやる。
「情報量の多い人間は好きだな。色んな話が出来るし」
「…そうなんですか」
「広く浅くっていう人間よりも、ひとつの事柄で専門的に知っている人
間ほど面白い」
「はぁ、そうなんですね」
「あからさまに興味ないって顔するな」
ふっと笑って瀬能さんは頬杖をついた。
私は慌てて首を振る。
「いえ、興味がないんじゃないです、逆に感心しているんです、瀬能さ
んの頭の中の回路ってどうなっているのかなぁって思って」
「回路?」
「いっぱい情報仕入れて蓄積出来るだけの容量持っている人の頭の中っ
て、一体どうなっているのかなって」
瀬能さんが首を傾げるので慌てて話を続ける。
「私は、その、あまり記憶の容量多くない人間ですので、いっぱい情報
を詰め込もうとすると、パニックになったり、飛んじゃったりするから」
「ふぅん?」
不思議な物を見る様な目で彼が私を見詰めている。
「あ、いや…意味判らないですよね、いいですこの話」
「今の所、確かに意味判らないけど、話してみたら?」
「…なんて言うか、うまく話せる自信ないです」
「うまく話せなくても言ってみたら?汲み取ってあげるから。
どんな形でも口に出さなければ、相手に伝わらないだろう?」
片手で頬杖をついていたのに、両手で頬杖をついて私を見る。
不謹慎にもちょっと可愛いとか思ってしまった。
「記憶の話っていうか、私の自分語りみたいになるのでいいです」
「尚更良いよ、沙英ちゃんの事には興味があるから」
「はぁ、じゃあ、あの…前に人の名前と顔を覚えられてる?って話を瀬
能さんがされたのは覚えてますか?」
「覚えているよ」
「あれも、記憶の回線っていうか、目で見た事、耳で聞いた事を瞬時に
記憶できれば、生田さんみたいに一度で覚えられると思うんです。でも、
私みたいなのは、覚えて頭の中に記憶する為には同じ事柄を何度も繰り
返さないとダメなんです。一度で覚えられたら、沢山情報を頭に残して
置けるから、そういう人の頭の回路ってどうなっているのかなって思う
んです」
「ふぅん、でもそれは”私みたいなの”って卑下に思うより、至って普
通の事だと思うけどね」
ふっと、私はそれまでずっと疑問に感じていた事を思い出した。
「…瀬能さん、人の記憶って不思議だと思いませんか?」
「どういう意味で?」
「例えば、今さっきの事ですが、瀬能さんと私が居酒屋に入って乾杯し
た時の事だって、ほんのついさっきの出来事なのに、もうそれは過去の
事で、思い出せる”記憶の中の出来事”になっているんです、乾杯した
時は確かに”今の出来事”だって思っていた筈なのに、だけどそれはも
う”今の出来事”ではなく”記憶の中の出来事”なんです」
「うん、まぁそうだね」
「瀬能さん、出来事として起こった筈の記憶出来なかったと自分が思っ
ている記憶って、本当に頭の中には残ってないのでしょうか?」
「うーん」
瀬能さんは腕を組んで少し考えるような表情をする。
私は続けた。
「忘れてしまうって、本当に頭の中のどこにもないのかな」
「まぁ、忘れたと思っていてもふとした時に思い出したりする事はある
からね”無くなってしまった”とか”記憶出来なかった”っていうのは
もしかしたら違うのかもね」
彼の方を見ると、薄く形の整った唇の口角を少しだけ上げた。
「瀬能さんと今日話をした事も、この先の何十年か後には、記憶にはあ
った筈なのに、忘れてしまった事になってしまうんでしょうか。もうそ
の出来事があった事実さえ、思い出せない程に」

”残しておきたい記憶”はどうやって残しておけばいいんだろう?

忘れたくない事は確かにある筈なのに。

「忘れたくない事だったら、何度でも思い起せばいい。記憶の形ってそ
うじゃないのかな?反芻させる事でその記憶は確かな物になっていく」
彼はふっと笑った。
「ただぼんやりと思い返すのでは駄目で、しっかりとした意識をもって
思い出す事が、確かに記憶する重要な鍵なんじゃないのかな?」
「しっかりとした意識ですか」
「まぁ、でも、人って強烈な出来事って忘れられなかったりするじゃな
い、これといって印象がない人間のことはいつまで経っても覚えられな
いし」
「え?」
「だからきちんと認識しろって言うんだよ」
「に、認識??ですか???」
瀬能さんはちょっと溜息をついた。
「俺の言った事はすぐ忘れてしまう様だね、君は。それともまだ俺の存
在の認識出来てないの」
「え、いえ、その”存在の認識”をしなさいって言われた事はちゃんと
覚えてます。急に話が流れたので、ついていけなかっただけです…」
「その認識さえも、君の記憶や意識に取り込む為の第一段階にしか過ぎ
ないというのに」
「はぁ…」
「気の遠い話だな」
とんとんっと指先で軽くテーブルを叩いて彼が言った。
その指先の傍には灰皿があったので。
「あ、瀬能さん煙草吸われないんですか?いつも吸ってますよね」
私なりの”彼を少しは見ている”というアピールのつもりだったのだけ
れども…。
瀬能さんは大きな溜息をついた。
「悲しくなってきた」
「え?え??」
「いいよ、君がぜーんぜん俺を認識してないのは判っているから」
「そんな事は…ないですが」
「あるから言っている」
彼の言葉に、責められている様な感じがしてしゅんとすると、
瀬能さんは穏やかに微笑んだ。
「怒っているんじゃないよ」
「そう…ですか?」
「うん、怒ってはいないし、責めてるとかでもないから」
「はい…」
「怒ってる、とか思われると悪い印象ばかりになるのでやめて欲しい」
悪い印象は記憶に残したくないと思う部類だろう?と言って彼は苦笑い
をした。


******


「ごちそうさまでした」
居酒屋を出てそう言うと、瀬能さんはにこりとした。
「これぐらい、痛くも痒くもないので、今後俺が奢ると言ったらにこに
こ笑うと良いと思うよ」
「でも、奢って貰うばかりでは申し訳ないです」
「じゃあ、奢り返してくれるの?」
「あ、え…っと、私の出来る範囲でしたら」
彼は笑う。
「そんなの全然望んでないので」
「そう、ですか」
「そうだよ」
改札まで来て彼はぽんっと私の頭に手を置いた。
「沙英ちゃんが望むなら、送るよ」
「え?」
「望まないなら、ここでお別れ」
ぽふぽふと頭を軽く叩いてくる。
答えの催促かなと思えた。
「あ、ここでいいです」
「判った」
彼は小さく微笑む。
「沙英ちゃんはどんな風に感じているのか判らないけど、俺って臆病な
んだよ」
「臆病ですか??」
「そうだよ」
ふふふといった具合に笑う彼にはやはりそんな印象は持てなかった。
「えーっと、覚えておきます」
「うん、そうすると良いよ」
最後に頭を撫でて私から手を離した。
「どうでも良くて、どんな風に思われても何とも思わないんだったら、
俺は俺の思った通りにしか動かないんだけどね」
「そうなんですか」
彼は苦笑いした。
「まぁ、いいよ。悪かったね、付き合わせて」
「いえ、美味しかったです。今度、あの…何かお礼します」
「いいよ、別に」
「や、何か考えますので」
と、私が言うと瀬能さんは嬉しそうに微笑んだ。
「そう、じゃあ、考えると良いよ。楽しみにしている」
私も微笑んだ。
彼ほど綺麗には笑えてなかったと思うけど、
”楽しみにしている”という言葉は少しくすぐったかった。
「アルコール入ってるし、気をつけて帰りなさい。家に着いたらメール
して」
先刻、臆病と言った筈の彼の口調は命令形で私は思わず笑った。
「判りました。瀬能さんも気をつけて」
彼は何か言いたそうな表情を見せたけど、それを消して微笑んだ。
「じゃあね」
手を挙げて、改札には入らずに歩いて行ってしまった。

(瀬能さん、この近所に住んでいるのかな?)

そういえば、どこに住んでいるとか聞いた事がなかったなと思った。


電車に揺られ、渋谷で一旦乗り換え最寄り駅を目指す。

お礼って何が良いかなぁと考えながら窓の外を眺める。
眺めた所で地下鉄だから暗闇しか映らないのだけど。

(瀬能さんが喜ぶ物って一体なんだろう)

情報が少なすぎて何も浮かんでこない。
情報が少ないのは瀬能さんも同じ事だと思うけど、彼はどう考えて私が
喜ぶ物を導きだしたのだろうか。

目を閉じて、瀬能さんの服装とか持ち物等を思い浮かべてみる。
すらりとした長身に上質そうなスーツを身に纏い…。
皮のビジネスバッグも一見皆が持っている物と変わりなさそうではある
けれど、きっと高級なんだろうなぁと思わせる。
履いてる靴も綺麗に磨かれているし、清潔そうな印象は深い。

うーん。

何が好きそう、とか喜びそう、とか全く想像がつかない。
断片的な記憶を寄せ集めて、なんとか形にしようとしてみる。

『ロス出張お疲れ様でした。向こうはどうでしたか?』
『めちゃくちゃ寒かったよ。俺、寒がりだから結構キツかった』

生田さんとの会話の中で寒がり、と言っていた事を思い出した。

マフラーを編んで、プレゼントしようかな。
でも、手編みとか、嫌がるかな。

などと考えながらも、頭の中ではすでに編み物の構想が繰り広げられる。
(二目ゴム編みで…毛糸は黒かな…、毛糸のチクチク嫌いな人だといけ
ないから、ピュアカシミヤで)

…でも、黒だといかにも普段使って下さいみたいに思われるかなぁ…。

色々考えている内に家に辿り着いた。

真っ暗い部屋に明かりをつけ、瀬能さんに言われた通りに帰宅のメール
をすると、『おかえり』の返信が来て、心の中が少しだけ温かく感じた。

(ただいま…瀬能さん…)

今此処に居ない彼に、私は小さく呟いた。




モドル | ススム | モクジ | トップ

Copyright (c) 2010 yuu sakuradate All rights reserved.
 






-Powered by HTML DWARF-