☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「へぇ柊吾くんと由眞がねえ。めでたいことだね。一時はどうなることかと思ったよ。言いたくはないけど、ここの病院のおぼっちゃんじゃねぇ……結婚しますからお金のことは心配しないでくださいって、それじゃあ由眞が、金で買われるみたいじゃないか。失礼だよ。まったく」 と、由眞の祖母は、ハッキリと言った。 そういう祖母の気持ちが嬉しいと思う。母なら、相手が誰でもお金持ちなら喜ぶだけだったろうから。 ――――東京の柊吾の家に行く前に、入院中の祖母のところに寄り、柊吾がふたりのことを報告したのだ。 偽物結婚だけれども、やっぱり由眞の祖母は喜んでくれた。 「皆子もきっと喜ぶよ。由眞には幸せになってもらいたいって、思っているからね」 「うん……」 「柊吾くん、由眞をよろしくね」 祖母が微笑むと、柊吾も微笑んだ。 「はい、大事にします」 柊吾が背後から、ぎゅーっと由眞を抱きしめた。 「ちょっちょっと、赤坂さん! そ、そうだ、飛行機の時間!」 由眞はワタワタして、柊吾の腕から逃れた。 「おやおや、恥ずかしがらんでもいいのに」 祖母は笑っていた。 「仲が良いのはいいことだよ。由眞は特にね。臆病なとこもあるけど、許してやっておくれ」 「由眞ちゃんのどんなところも、可愛いと思っています」 「ちょ、赤坂さん、言い過ぎ……」 由眞が真っ赤になっていると、祖母が笑った。 「ほれ、本当に飛行機の時間に遅れる。行きなさい。ヘマしないようにね」 「……お婆ちゃんやめて、本当にやりかねないから」 「由眞ちゃんがヘマしたって大丈夫ですよ。誰にも文句は言わせませんから」 柊吾がニッコリと笑った。 「じゃあ、また、お見舞いに来ますね」 彼が言うと、祖母は告げる。 「でも、宮前医師の話だと、もうすぐ退院できるようだけどね」 「本当? 良かった」 由眞が喜ぶと、祖母がビシッと指さしてきた。 「由眞は、婆ちゃん家には立ち入り禁止ね」 祖母の言葉に由眞は目を丸くした。 「え、どうして?」 「新婚じゃろうて」 「だって、私お婆ちゃんのお世話がしたくて、松島に来たんだよ? それにまだ結婚してないし」 「世話されるような病人じゃないって、宮前医師も言うとったわ。まだまだ元気じゃて」 「で、でも」 由眞が戸惑っていると、祖母は微笑む。 「同じ世話するなら、仕事が忙しい柊吾くんの世話をしなされ。わかったかい?」 「……お婆ちゃん」 「ほれ、はよ、おいき」 由眞は半ば追い出されるように、病室を出る。 「……お婆ちゃん、なんだってあんなこと」 「心配しているんだよ。由眞ちゃんのことを」 「心配って言っても……私たちは……」 「穂村さんは知らないんだから、仕方ないよ。言う通りにしてあげれば? お店の手伝いはするんでしょう?」 「う、うん」 「あまり世話をやきすぎても、いけないっていうしね。穂村さんはまだまだお元気なんだし」 柊吾は彼女を励ますように、ぽんぽんと由眞の肩を叩いた。 「……そうだね……お婆ちゃんの言う通りにしておく。お婆ちゃん、勘がいいから、契約結婚のこと、バレても困るし……」 「……あまり外で、そのワード出さないほうが良いよ。誰が聞いてるかわからないから」 「そ、そうですね。すみません……」 「あのバカ息子がこのまま、おとなしく食い下がるとも思えないし」 「えっ」 「今までなんでも、自分の思い通りにしてきたタイプに見えるから。心配なんだよな」 柊吾が真顔で言うから、由眞も心配になってくる。 そこまで執着されるいわれはないと、思っていたからだ。 弘貴のお金のことも解決して、結婚相手がいるとわかれば、もう何もしてこないだろうと由眞は思っていた。 「大丈夫、由眞ちゃんのことは、全力で護るから」 「……は、はい」 「だから、前も言ったけど、何かあったら遠慮なく僕に言うんだよ? いい?」 「はい。今は取り敢えず、大丈夫ですから。帰るときも裏口で待ち伏せされてないか、佐野さんと一緒に出るようにしていますし、佐野さんの用事があるとき以外は、車で送ってもらっているんです」 「そうだったんだね」 「だから、私は、大丈夫です」 ――――大丈夫という言葉に、柊吾は苦笑した。 (たまには、頼ってもらいたいよなぁ) 羽田空港に到着すると、柊吾は出迎えの車に乗り込んだ。 (……タクシーじゃないから……運転手付きのお家の車ってことかしら) 由眞は早速緊張して、カチコチになった。 「そんなに緊張しなくてもいいよ」 「で、でも……」 「僕の家のことは話してなかったね、帝王大学病院の院長が僕の父。そこの教授が兄で助教授が二番目の兄。確か、二番目の兄が由眞ちゃんの弟の主治医をしていたと思う」 「え、えっ、そうだったんですか」 確かに医者の家系だとは聞いていたが、弘貴が入院している病院のご家族とは由眞は思っていなかった。 (な、なんだか……自信なくなってきた……私で大丈夫なのかな……) 彼女の不安を読み取ったのか、柊吾が手を握ってくる。 「大丈夫だよ、君はいつもどおりで」 「でも……ちょっと自信ないです」 「平気だよ」 柊吾の実家は都心の一等地にある一軒家だった。 やたら大きな家で、柊吾が家に入るなり、数名のお手伝いさんが彼を出迎えた。 「旦那様がお待ちです」 「わかった」 車を降りてから、柊吾はずっと由眞の手を握ったままでいる。 演出なのかどうかわからなかったが、こうしてもらえていることで、由眞は安心できた。 大広間に入ると、ご家族勢ぞろい、という感じでテーブルに着席していた。 お父様、お母様、お兄様がふたり。〜様と呼ぶのに相応しい威厳がある。 兄ふたりが、由眞を睨むようにきつい視線を送ってきていた。 (どうか威嚇じゃありませんように……) と、由眞がビクビクしていると、柊吾が強く手を握りしめてきた。 『大丈夫だから』 彼は微笑んだ。 「そちらのお嬢さんが、柊吾が言っていた、結婚を前提としてお付き合いしている女性かね?」 柊吾の父、冬樹が言う。 「はい、野木由眞さんです。僕のほうが強く想いを寄せていて、とても大事にしている女性です。彼女に結婚の承諾をしてもらえて、この上ない幸せを感じています」 ――――……強く想いをって……。 由眞は顔を赤くした。 契約結婚なのだから、想いも何もないのに、と考えていると、柊吾の母の舞子は微笑ましげに彼女を見てくる。 「想像していた以上に可愛らしいお嬢さんだわ。ねぇ? 冬樹さん」 「……そうだな、まぁ、ふたりとも座りなさい」 柊吾と由眞が着席すると、紅茶とケーキが目の前に置かれる。 「ケーキは私が選んだの。由眞さんのお口にあえばいいのだけれど」 いちごのショートケーキの横に、ちょこんと小さなバラの花が置いてあった。 「こちらのバラって……」 由眞が聞くと舞子が微笑んだ。 「安心なさって。食べられるバラなのよ」 「食べられるバラのことは、知っておりました。一度食べてみたいと思っていたんです。バラ……すごく可愛いですね」 「まぁ、それはよかったわ。召し上がって」 「ありがとうございます、頂きます」 ケーキよりもバラの方に興味があって、由眞はバラを先に口に運んだ。 ほのかに甘くて美味しい。 「美味しいです。食べられるバラって、こういう味なんですね」 「気に入ってもらえて嬉しいわ。由眞さんに喜んで欲しくて、今年の金賞を受賞したバラを取り寄せたの」 舞子が少女のように、キラキラした瞳で由眞を見てくる。 「き、金賞……ですか、そんな貴重なバラを、私ったら一口で食べてしまって」 「いいのよ、なんだったらまだまだあるから」 もっと持ってこさせようとする舞子を、柊吾が止めた。 「……お母様、由眞ちゃんにバラを食べさせに来たわけじゃないよ。お母様はね、フラワーコーディネーターの資格を持っていて、花にはちょっとうるさいんだ」 「うるさいってなぁに? 柊吾ったらそんなふうに思っていたの?」 「全員、そう思っているよ」 冬樹が口を挟んできて、笑いが起こり、その場が和んだ。 「そうそう、僕の患者の野木弘貴くんって、由眞さんの弟さんだったんだってね。世の中けっこう狭いね」 柊吾の二番目の兄桜吾が、由眞に話しかけてくる。 「さきほど、赤坂……しゅ、柊吾さんから聞いたばかりで、弟がお世話になっています」 由眞が頭を下げると、桜吾は微笑んだ。 「渡米が決まって、よかったね」 「はい、ありがとうございます。皆様のおかげです」 「ドナーが見つかったら、渡米先の執刀医は私が紹介しよう。腕のいい医者がいるんだ。これから家族になる弘貴くんのオペを、ミスするわけにはいかないからな」 「それはいいことですね」 冬樹の言葉の後に、柊吾の一番上の兄、藤吾が言う。大学病院の教授らしく、しっかりしてそうな人だった。 ちなみに、藤吾も桜吾も結婚していて子供もいるらしい。 それなのに、柊吾がなかなか結婚相手を紹介しないから、やきもきしていていたと舞子が言う。 (……家族か) 由眞は苦笑した。 医者も紹介してもらえると聞いて、すぐに喜ばなければいけないところなのに、なんだか嬉しいとは、その瞬間は感じられなかった。 (弘貴が良くなれば……) 何が変わるんだろう? と由眞は思ってしまった。 由眞の家族はこれからも弘貴を大事にするだろうし、柊吾の家族も、難しい手術を成功させたとして、弘貴を大事に扱うだろう。 (……あぁ、でも、私と赤坂さんの結婚は一年だけのことだから……気にすることもないのか) 弘貴と赤坂家の繋がりは途絶えないだろうけれど、由眞と柊吾は一年で終わりだ。 なんだか胸の奥がつかえる感じがした。 苦しくて、息がしにくい。 なんでこんな感情が生まれるのだろう? 赤坂家までもが、弘貴よりになるから? ――――そういうものではないような気がした。 しばらく談笑してから、舞子が言う。 「そうそう、柊吾の部屋はそのままにしてあるから、由眞さんに見ていただいたら?」 「……見せるものなんてないよ」 と、柊吾が言っているのに、舞子がさらに押してくる。 「見たいわよねぇ? 由眞さん」 朗らかに笑っているのに逆らい難い空気を感じ、由眞は大きく頷いた。 「本当、いつも強引だな。行こうか、由眞ちゃん」 「あ、はい、じゃあ、みなさま、少し失礼します」 由眞はエスコートされて、二階の柊吾の部屋へと向かう。
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